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ダイナカーペンターの編集履歴

2023-10-01 10:19:41 バージョン

ダイナカーペンター

だいなかーぺんたー

日本の競走馬。1980年代後半から1990年代前半にJRAや地方競馬で活躍した。

概要

日本の競走馬。1980年代後半から1990年代前半にJRA地方競馬で活躍した。

主な勝ち鞍は阪神大賞典(1988年)、京都記念(1989年)など。


プロフィール


略歴

1984年5月17日、北海道白老町の社台ファーム白老で誕生。

父・フレーミングユースは社台生産で大橋巨泉が馬主だったが9戦2勝の条件馬どまり。母・ファイアフラワーはアイルランド生産で不出走で繁殖入り。


1986年、栗東の増本豊厩舎に入厩。

11月23日、中京競馬場の3歳新馬戦でデビューし、スリーアテンションの2着に敗れた。

12月13日、中京競馬場の3歳新馬戦でデビューし、マイネルマサルの2着に敗れた。


1987年4月26日、京都競馬場の未勝利戦に出走し初勝利。

5月10日、たちばな賞(400万下)に出走しトウシンビクトリーの7着に敗れた。秋に向け休養に入る。

10月24日、京都競馬場の条件戦(400万下)に出走し1着。

11月15日、京都競馬場の条件戦(900万下)に出走しサンサイズベストの5着に敗れた。

11月28日、比良山特別(1400万下)に出走し1着。オープンに昇格。

12月13日、愛知杯GⅢ)に出走しピーターホーラーの13着に敗れた。


1988年1月6日、万葉ステークス(オープン)に出走し1着。

2月21日、京都記念(GⅡ)に出走しカシマウイングの10着に敗れた。

3月13日、阪神大賞典(GⅡ)に出走。最終直線、逃げねばるダイナカーペンターをタマモクロスマルブツファーストが猛追し3頭並んでゴール。写真判定の結果、ダイナカーペンターとタマモクロスが1着同着、マルブツファーストがハナ差3着となった。初の重賞勝利。

4月29日、天皇賞(春)GⅠ)に出走しタマモクロスの16着に敗れた。この後、2桁着順の惨敗が続く。

12月24日、六甲ステークス(オープン)に出走しディクターランドの2着に敗れた。


1989年1月22日、日経新春杯(GⅡ)に出走しランドヒリュウの8着に敗れた。

2月19日、京都記念(GⅡ)に出走し1着。重賞2勝目。

4月29日、天皇賞(春)に出走しイナリワンの16着に敗れた。

5月21日、エメラルドステークス(オープン)に出走し1着。

6月11日、宝塚記念(GⅠ)に出走しイナリワンの4着に敗れた。秋へ向け休養に入る。

10月21日、カシオペアステークス(オープン)に出走し1着。

11月5日、ドンカスターステークス(オープン)に出走しハツシバエースの4着に敗れた。

12月3日、鳴尾記念(GⅡ)に出走しミスターシクレノンの3着に敗れた。

12月24日、有馬記念(GⅠ)に出走しイナリワンの11着に敗れた。中央競馬の登録を抹消。


1990年9月、成田トシが馬主となり、林正夫厩舎(ホッカイドウ競馬)へ移籍。

9月27日、羊蹄賞に出走しロイヤルジェネラルの9着に敗れた。その後、ホッカイドウ競馬で28戦するが未勝利。


1993年9月29日、中の島特別に出走しオースミギャンブルの5着に敗れた。現役引退となる。引退後、前川ファーム門別町)で当て馬となった


1995年8月、蹄葉炎により死去(12歳)。


関連タグ

87世代 JRA NAR 競走馬

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