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セシル・ローズの編集履歴

2023-11-26 09:59:21 バージョン

セシル・ローズ

せしるろーず

セシル・ローズはイギリス人の資本家および政治家。

概要

この人物セシル・ジョン・ローズイギリス生まれであるが、南アフリカにて資本家および政治家として活躍した人物であり、二つ名は「アフリカナポレオン」、アフリカ大陸に彼が立っている風刺画有名である。

経歴

  • 1853年、イングランドのハートフォードシャーに生まれるも、父親は彼の体の弱さを心配し南アフリカの兄のもとで育てることになった
  • 無事育った彼は坑夫となるが、才覚を発揮、採掘権への投機やポンプの貸し出しで財を成す
  • 1880年、デ・ビアス鉱業会社ロスチャイルド財閥の資金提供を受け設立、ケープ植民地( 南アフリカに存在したイギリス植民地 )議会の議員となる
  • 1884年にケープ植民地政府の財務相となる、この間もデ・ビアス鉱業会社は膨張を続けており、ケープ植民地の北東部に存在したオランダ系移民( ボーア人 )の国、トランスヴァール共和国の金採掘にも進出している
  • 1889年、イギリス南アフリカ会社( 東インド会社等と類似した警察権・統治権をもつ会社 )の設立特許を獲得
  • 1890年、首相に就任、このころには南アフリカの鉄道通信新聞業をもその支配下に入れていたようである
  • 1894年、イギリス南アフリカ会社を用い原住民の土地を奪取、ローデシアと名付けられる
  • 1895年、トランスヴァール共和国侵略のため間接侵略、具体的にはクーデターの支援を行い同時に会社の軍隊を侵攻させる作戦を立てたが蜂起に失敗、会社の軍人リンダー・スター・ジェームソン率いる軍隊が突撃するが捕虜にされた
  • 1896年、上記の件により政治家としては失脚
  • 1899年には第二次ボーア戦争が開戦。開戦直後にボーア人に包囲されるが4か月後救出、ただしこれにより健康状態は悪化したとされる
  • 1902年、死去、なお独身であった

そのほか


関連項目

南アフリカ 政治家

帝国主義 大英帝国


参照

wikipedia:同項目

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