概要
『スパイダーマン』で有名な名言の1つ。
原文では「With great power comes great responsibility.」。
初期コミックの最後のコマの物語のキャプションに登場するのが初出。以後のシリーズではスパイダーマンことピーター・パーカーの叔父ベン・パーカーが残した言葉になっている、ピーターにとっては、ヒーローとして人々を守っていくための原動力となっている。
アベンジャーズVSX-MENでは、X-MEN側のキーキャラクターであるホープにこのフレーズを交えて語ったところ「私もクモのコスチューム着たほうがいい?」とまで称賛された。
この言葉はヒーローの心構えを表した言葉として語り継がれているが、この言葉は時としてヒーローだけでなく、ヒーローのようなスーパーパワーを持たない守られる側の我々にも向けた言葉として解釈される、「彼等は凄い力を持っているが、それ相応の責任を持った行動をしなければならないのだ(だから気持ちはわかるが自己中心的な欲求や批判を彼等に押し付けるな)」ということである。
事実、池上遼一版では当のスパイダーマンが大いなる力とそれに伴うプレッシャーに押しつぶされ、無責任で身勝手な民衆の悪意に辟易とした結果、ヒーローを辞退しているからである。故に「誰もが皆ヒーローになれる」のであり、「誰もが皆悪役」となる素養を秘めているのだ。
「大いなる責任」は数々の『スパイダーマン』シリーズで犠牲となるスパイディの関係者という意味合いとしても使われている。
以下、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレあり
MCU版スパイダーマン映画では、第3作『ノー・ウェイ・ホーム』にて登場した。
発言したのはベンではなく、叔母のメイ・パーカー。
マルチバースから来たグリーン・ゴブリンを解毒剤で殺して、二重人格となっていたノーマン・オズボーンを元の善人に戻してあげようとしたピーターだったが、あと一歩というところでゴブリンの人格がノーマンの意識と肉体を乗っ取ってしまい、ピーターはメイともどもゴブリンの攻撃を受ける。
ドクター・ストレンジの言うとおり彼らを(たとえ、元の世界に戻ったらスパイダーマンに倒され、悲惨な運命にあったとしても)すぐに元の世界に戻すべきだったと後悔するピーターに対し、「大いなる力には、大いなる責任を伴う」という言葉とともに、ピーターの選択は間違っていなかったと強く説く。
一時はその言葉を苦々しい顔で受け止めたピーターだったが、ゴブリンの攻撃によってメイの命は尽きかけており、狼狽するピーターの前でその人生を終えたのだった。
現場に駆け付けたダメージコントロール局の襲撃もあり、ピーターはメイを十分に弔う暇もなく、その場を離れざるを得なかった……
その後、ミッドタウン高校の屋上で悲しみに暮れるピーターのもとに、MJ、ネッド・リーズ、そしてマルチバースから現れた二人のピーター・パーカー(演:トビー・マグワイア&アンドリュー・ガーフィールド)が現れる。
やけっぱちになり、二人のピーターを拒絶しようとするピーターが、「大いなる力には――」と言いかけると、二人のピーターは「大いなる責任が伴う」と継いだ。
その言葉と、二人がその言葉を肉親から教えられたこと、その肉親を失ったことを知ったピーターは、この世界で初めて、心から共感しあえる存在に出会えたのだった。
MCUにおけるメイは、他の作品におけるベンと同じく、ピーター・パーカーのロールモデル(見本であり手本)であると、MJ役のゼンデイヤは評している。
関連タグ
誰でもマスクをかぶれる:こちらもスパイダーマンに関連する台詞。
ノブレス・オブリージュ:類義語。貴族(富裕者・権力者)の義務。「普段いい思いをしているのだから戦争などの非常時、飢饉などの困窮時こそ率先して身銭を切って事態の解決に臨み、民を守らなければならない」
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ:似たような意味を持つ台詞。コレ自体は実在する小説内での台詞で「やった事をやり返される覚悟は持っていなければならない」という意味だが、これを好んで引用していたあるキャラクターは後に「本当は撃たれる覚悟の出来るものなど居ないのかも知れない」、つまり「「やった以上やり返される覚悟を持て」という警句ではなく「撃たれる覚悟を真にできるものなど居ない(撃たれる事を許容した時点でやる事に撃たれる以上の価値を見出しているのでただの無敵の人で失うものがないだけである)のだから、そもそも撃つべきではない」という意味であったのかもしれず、自身はその解釈を間違えた為に何もかもを失う羽目になったのだ」と溢している。
なろう系:唐突に得た大いなる力を無自覚(無責任)に振るったり、後先考えず使うことが多い等、ある意味対極に位置する存在。