概要
ナミュールは、日本の競走馬。主な勝ち鞍は2022年のチューリップ賞
データ
生年月日 | 2019年3月2日 |
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欧字表記 | Namur |
性別 | 牝馬 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ハービンジャー |
母 | サンブルエミューズ |
母の父 | ダイワメジャー |
生産 | ノーザンファーム(北海道安平町) |
管理調教師 | 高野友和(栗東) |
馬主 | キャロットファーム |
生涯/戦績
デビュー前
2019年3月2日、北海道安平町のノーザンファームにて誕生。
父のハービンジャーはイギリス産馬で、2010年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを11馬身差で制したことで知られる。
母系はキョウエイマーチ一族の出身で、キョウエイマーチの仔で唯一の牝馬だったヴィートマルシェの2番仔・サンブルエミューズが母馬。
本馬はその3番仔。おばにマルシュロレーヌがいる。
その後、エフフォーリアなども所有する一口馬主クラブ「キャロットファーム」の一員となった。募集価格は1口6.5万円で400口。
その後、母・サンブルエミューズの名前の由来であるサンブル川(オランダ語表記で「サンバー川」)とミューズ川(オランダ語表記で「マース川」)の合流地点が存在するベルギーの都市の名前にちなんで、「ナミュール」と命名された。
2歳
育成調教ののち、ナミュールはJRA栗東トレーニングセンターの高野友和厩舎に入厩。
2021年9月11日の中京第1レースで川田将雅を鞍上にデビュー勝ちを果たす。三浦皇成に乗り替わった次走の赤松賞も勝利しデビュー2連勝。
陣営は次戦に、2歳女王決定戦、阪神ジュベナイルフィリーズを選択した。
阪神ジュベナイルフィリーズ
迎えた阪神JF。ナミュールはクリスチャン・デムーロを鞍上に迎え、ここまで無敗ということもあってか単勝オッズ2.9倍の1番人気。
しかし、スタートのタイミングが合わず大きく出遅れてしまう。前2戦と変わって最後方からの競馬になったものの、内を突いて先頭に食らいついていく。
しかし、外から差したサークルオブライフをとらえきれず、その4着となった。
3歳
初戦として、桜花賞トライアルのチューリップ賞に出走。鞍上に横山武史を迎え1番人気に推されたレースでは、中団で脚を溜めて直線半ばで外に出て突き抜け、最内から伸びた13番人気の伏兵ピンハイに1馬身半差をつけ優勝。重賞初制覇を果たした。
1番人気に推された本番の桜花賞は内が有利の馬場で大外枠が仇となり、伸びきれず10着に終わった。
続く、オークスはやや評価を落として4番人気で臨んだが、スターズオンアース牝馬二冠達成を前に3着となった。
オークスの後は夏の休養を挟んで秋華賞に直行。道中は中団外目を追走して直線で先に抜け出したスタニングローズを猛追したが、スタートで出遅れて四角後方3番手から内をついた牝馬二冠スターズオンアースの強襲もあり、1着スタニングローズには半馬身差、3着スターズオンアースとはハナ差の2着となった。
続いて、エリザベス女王杯に出走。3番人気の評価で臨んだが、直線中々伸びきれず5着に終わった。
4歳
初戦は東京新聞杯に挑むも直線先に抜け出したウインカーネリアンにアタマ差で届かず2着。 続くヴィクトリアマイルでは3番人気に支持されたが、レース序盤での不利が響いたのもあり7着に敗れた。その後の安田記念は単勝9番人気と評価を落としての出走となり、レースは最後の直線での不利が影響し、全く伸びず16着という結果に終わり、前年の桜花賞以降勝ちきれないレースが続く。
秋初戦は富士ステークスに出走。新たにジョアン・モレイラを鞍上に迎え1番人気に推された。レースでは道中はやや後方に位置したまま最後の直線。ラスト200mあたりから外から馬群を捌いて一気に伸びてきて、その外から追い詰めるレッドモンレーヴに1.1/4馬身差の優勝。 前年チューリップ賞以来の2つ目の重賞タイトルを手にしたとともにマイルチャンピオンシップへの優先出走権を獲得した。
マイルチャンピオンシップ
迎えたマイルチャンピオンシップ本番、並み居る牡馬の中紅一点での挑戦であった。当初は鞍上にライアン・ムーアを迎えての参戦予定であったが、当日の京都2Rでムーアの落馬負傷があったため、急遽藤岡康太に乗り替わりとなる。これが響いたか単勝17.3倍の5番人気でレースを迎えることとなった。
レースではスタートのタイミングが合わず、後方につけ、直線での末脚に賭けるような態勢をとったまま最後の直線へ向かう。直線では馬群を割りながら伸びてきて、一気の末脚でそのままソウルラッシュを上がり最速33.0秒で差し切り、先頭でゴール板を駆け抜けた。8回目のGⅠ挑戦で悲願の初制覇、また藤岡にとっては2009年のNHKマイルカップ以来14年ぶりのGⅠ制覇となった。牝馬のマイルチャンピオンシップ優勝は2021年のグランアレグリア以来2年ぶり6頭目。さらに当日乗り替わりでGⅠを優勝したのはグレード制導入後以降史上初と快挙尽くしとなった。しかし藤岡は本レースから約5ヶ月後の2024年4月に落馬事故により帰らぬ人となり、本レースは藤岡にとって生涯最後のGⅠ・重賞制覇となった。