プロフィール
競走馬名 | ヤマイチ |
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繁殖名 | 朝藤(母親の幼名からの連想) |
生年月日 | 1951年4月4日 |
没年 | 1966年 |
性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
父 | トシシロ |
母 | 年藤 |
母の父 | トウルヌソル |
生産 | 下総御料牧場 |
調教師 | 尾形藤吉 |
競走成績 | 30戦5勝 |
獲得賞金 | 486万7000円 |
概要
1951年産まれの競走馬。
母クリフジや兄弟と同じく下総御料牧場で産まれた54世代の栗毛の牝馬。
管理調教師は母も育てた名伯楽、“大尾形"こと尾形藤吉。
主戦騎手は尾形厩舎所属の名ジョッキー・八木沢勝美。兵役から復員してクラシック4勝(49年桜花賞:ヤシマドオター、52年皐月賞&東京優駿:クリノハナ、52年優駿牝馬:スウヰイスー)と絶好調だった。
馬主は大映の社長・永田雅一氏。母に次ぐ10戦10勝の無敗記録を持つ名馬で「幻の馬」とも謳われた「トキノミノル」のオーナーとして知られる。
ヤマイチの半弟ホマレモン(後述)も同じく永田氏の所有馬だった。
血統
母クリフジ(繁殖名:年藤)は史上ただ1頭しかいない変則三冠馬。
現役時の通算戦績は驚異の11戦11勝、日本の中央競馬における無敗の最高記録を80年保持し続けている名牝である。
ファミリーラインは小岩井農場の基礎輸入牝馬の1頭アストニシメントから続く名牝系、父は6年連続リーディングサイアーのトウルヌソルという良血中の良血。
父トシシロはクリフジの同期であり、互いのデビュー戦(新呼馬)で戦い、クリフジの全キャリア中最小着差となる1馬身差の2着に迫った馬。
無敗記録に加え、ほぼ全てのレースで2着を大きく千切り捨てて(なにせ11戦中6戦で着差10馬身以上)いるクリフジにとって、最も強かった相手と言えるかもしれない。
そんなトシシロも、競りでクリフジより高額がついたほどの超良血馬だった。
母クレオパトラトマス(繁殖名:月城)は下総御料牧場の基礎輸入牝馬の1頭「星旗」の娘で、東京競馬会の第57回帝室御賞典(春)(現在の天皇賞とは異なる)の勝ち馬。
父ダイオライトはトウルヌソルからリーディングサイアーの座を奪った程の名種牡馬。史上初の三冠馬セントライトを筆頭にクリフジ不在の皐月賞を制したダイヱレク、同じくクリフジ不在の帝室御賞典(春)を制した同期ヒロサクラ、55戦もの激戦を走りぬき繁殖牝馬としても活躍した史上2頭目の皐月賞牝馬ヒデヒカリ等、数えきれない程の名馬を輩出し、日本競馬黎明期の土台を支えた。
ヤマイチの半弟ホマレモン(父グレーロード)は春天を始め毎日王冠、スプリングステークス、東京盃、金杯、スプリングハンデキャップなど、数々の重賞で2着となった。
現役時代
一流も一流の良血統に産まれたヤマイチはその期待に応え、母の出走が叶わなかった桜花賞を制すると、オークスでは母を思わせる6馬身差の大楽勝で、史上初の母娘オークス制覇&牝馬二冠を達成した。
2024年現在、「母娘二代で二冠達成」はこのクリフジ&ヤマイチ母娘のみという大偉業。
また、母娘オークス制覇も他の達成例はダイナカール(84世代)&エアグルーヴ(96世代)母娘だけという偉業である。
続く牝馬三冠最後の関門となる菊花賞では紅一点で7番人気。レースでは「走る精密機械」と謳われたタカオーやダービー馬ゴールデンウエーブらに先着、2着の1番人気ミネマサ(祖母は下総御料牧場の基礎牝馬の1頭種正)にも3/4馬身差まで迫ったが惜しくも3着まで。
勝ち馬はそのミネマサの6馬身前にいた二冠達成の皐月賞馬、“"ダイナナホウシユウ。“褐色の弾丸列車"と呼ばれた快速の逃げ馬であり、デビューから皐月賞までの11連勝は母クリフジやカブラヤオー、トサミドリらと並ぶ中央競馬の最多連勝タイ記録となっている。
この1954年は啓衆社賞(現在のJRA賞)が創設された年でもあり、ヤマイチは栄えある初代「最優秀4歳牝馬」に選ばれた。
古馬となってから重賞を勝つ事は無かったものの2勝を挙げ、1955年12月4日の中山競馬場の特別ハンデに出走、13頭中10着。これが現役最後のレースとなった。
生涯通算成績:30戦5勝 2着4回 3着5回
生涯獲得賞金:486万7000円
母とは違い安定感があると言えない戦績だったせいか、全30戦中1番人気は勝った桜花賞含め5回しかなかった。
大井出身のダービー馬ゴールデンウエーブとは対戦が6回と多かった。ヤマイチの先着は菊花賞のみだったが、1955年4月3日に行われた特別ハンデ(東京競馬場)ではダービー馬とオークス馬のワンツーフィニッシュ、それもクビ差の接戦という珍しいレースだった。
引退後
引退後、「朝藤」の名で繁殖入り。
しかしあまり仔出しはよくなかったようで産駒は3頭しかおらず、彼女の牝系は途絶えている。
繁殖入りから10年後の1966年、2年前に亡くなった母クリフジを追いかけるようにこの世を去った。享年15歳。
折しも同年に変則二冠馬トキツカゼ、前年にはセントライトと、次々と大物が世を去った時期でもあった。