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中村獅童の編集履歴

2024-10-05 02:24:25 バージョン

中村獅童

なかむらしどう

歌舞伎役者の名跡の一つ。当代は二代目。

代々

屋号は萬屋(元は播磨屋)。播磨屋本家である小川家の名跡。

昭和以降に誕生した比較的新しい名跡で、播磨屋三代目中村時蔵の俳名を、その三男が正式な名跡として名乗ることで始まった。


初代と小川家

時蔵の名と歌舞伎界における小川家の歴史は初代(本名波野時蔵・後の三代目中村歌六、大阪出身の初代中村歌六の三男)から始まるが、初代の養子である二代目が早世、長男は初代中村吉右衛門の名を生涯通し、三男は断絶した中村勘三郎の名を復興して十七代目を襲名したため、母方の養籍に入った次男が小川姓で継承したものである。


初代獅童は10人兄弟、男だけでも5人という子に恵まれた家系に育った。長兄が二代目中村歌昇(贈四代目中村歌六)、次兄が四代目中村時蔵、弟に萬屋錦之介(初代中村錦之助)と中村嘉葎雄(中村賀津雄)がいる。

役者の家に生まれ育ち、当人も歌舞伎役者となったのだが、特に弟・錦之介の芸にほれ込み、同時に弟と比べて自分には役者の才能は無いのではないかと不安に思っていたという。一方で女形だった父・三代目時蔵はその兄の初代吉右衛門の相手役を、もともと播磨屋の師匠筋の成駒屋の当主・六代目歌右衛門に奪われ、子供たち共々良い役になかなか付けない不遇の時代を味わった。

そんな中、ある先輩役者に弟の芸を罵倒された獅童、大先輩故に反論も出来ない弟を見て腹に据えかねたのか着用していたカツラをその役者に投げつけた。当然相手も怒り狂うわけだが、ちょうど自身が役者を続けることに疑問を感じていた獅童は、それならそれでと歌舞伎役者を辞めてしまったという。


その後は一介のサラリーマン(銀行員)を経て、東映のプロデューサーとなり、同じく歌舞伎役者を辞して東映に入社し映画俳優となった錦之介と嘉葎雄をバックアップした。

当時、長兄の二代目歌昇も体調の悪化で役者を廃業し、次兄時蔵は激務故に睡眠薬を多用した結果睡眠薬事故で急死、五人兄弟の誰もが歌舞伎界から去る事態となってしまった。

五人の母小川ひなは最も役者業で成功している錦之介に歌舞伎復帰を呼びかけたが色よい返事を貰えず、兄弟が残した遺児たちを全面的に支えることで小川家の血統を絶やすことの無いよう尽力した。この小川ひなこそが戦後歌舞伎界における「梨園の妻」のあり方の祖であるという。


なお、錦之介の名乗った萬屋の名は、前述した通り吉右衛門が三代目時蔵のはしごを外した形でしこりが残っていた播磨屋内部の関係性の清算も兼ねて、五兄弟とその遺児たちの系統が揃って播磨屋から脱する際に、新しい屋号として使われるようになったものである。ただし、萬屋の屋号が出来た当時吉右衛門の名は初代の外孫に受け継がれており(松本幸四郎の弟)、力を持ち始めたひなの意向で、若かった二代目吉右衛門が文句を言えないうちに離脱したような形となっている。

時蔵家と獅童家はその後も萬屋のままであるが、長兄歌昇の子供たちは後年播磨屋に復帰している。

一方、獅童と錦之介にも男子が生まれたが、既に兄の歌昇・時蔵の子が二人ずつ育っており、これ以上はいかに小川家の力を持っても支えるに限度があった。錦之介の子供たちは歌舞伎界に戻ることは無かったが、獅童の子は二代目獅童として歌舞伎界に挑むこととなる。


二代目

1972年9月14日生まれ。本名は小川幹弘。実母が立ち上げた中村獅童事務所所属。屋号は萬屋。現代劇俳優、また声優としても活躍する。

元妻は竹内結子。現妻は一般人。初代獅童の一人息子である。

父母が結婚して10年目、父が42歳の時に産まれた待望の長男であった。しかし父が前述の通り若くして歌舞伎役者を廃業しており、しかも三男の子であるため実家の祖母の庇護も満足に受けられず、御曹司が行う「初御目見得」(正式に歌舞伎役者としてデビューする「初舞台」よりも前に、本名で舞台にあがって殆どチョイ役のみで挨拶をする行事、歌舞伎役者の御曹司にとっては正式に舞台にあがる前に贔屓客に存在を覚えてもらう大事な通過儀礼である)を経験していない。


8歳で自らの意思もあって歌舞伎界に飛び込み、2代目中村獅童を名乗って初舞台となる。祖母の力添えがあったのはこの時くらいで、後はほぼ自らと母親の力でのし上がっていくことになる。

前述した通り、小川家には長兄・歌昇と次兄・四代目時蔵の子四人がおり、祖母の庇護は専ら彼ら四人にあてられた。彼ら四人とて順風満帆ではなく、市川猿之助一座に客演させてもらうなどしてなんとか歌舞伎界にその血脈を残すのに必死であった。故に数十年の時を経て飛び込んだ獅童の面倒まではとても見切れなかったのである。そのため獅童は、まるで歌舞伎界の外から飛び込んだ役者のようなスタートとなり、暫くは脇役での活動を余儀なくされ、ドラマなど現代劇にも多く出演した。


そんな最中の2002年、映画『ピンポン』のドラゴン役で新人映画賞の5冠を達成するなど脚光を浴び、ドラマ・映画での活躍が増加。これに伴って歌舞伎でも次第にいい役がつくようになり、一人前の立役として大成した。1998年名題試験合格、名題適任証を取得。


私生活では、前妻の竹内との間に一男を設けたが、養育方針を巡って竹内と獅童の母・陽子との間で折り合いがつかず、すれ違いが続いていたこともあって2008年に離婚。子供の親権は竹内が持つこととなった。

その後、後妻との間に二男を設けており、2人とも歌舞伎役者デビューを飾っている。なお、次男の夏幹は先天性四肢障害により生まれつき小指の一部が欠損しているが、それ以外は至って普通に生活している。2023年にこのことを記者会見で公表しており、「同情はしないでほしい」と呼びかけた。

本人はこのことについてまだ自覚できていないらしく、「いずれ話さなければいけない時が来る」と覚悟しているとのこと。


主な出演作(二代目)

本業の歌舞伎では『義経千本桜』の狐忠信、『菅原伝授手習鑑・車引』の松王丸を初主演とする。

舞台(現代劇)

  • 『丹下左膳』(丹下左膳)
  • 『黒部の太陽』(岩岡源三)

舞台(歌舞伎)



ドラマ

  • 『丹下左膳』(丹下左膳)
  • 『毛利元就』(尼子義久)
  • 『武蔵 MUSASHI』(徳川秀忠)
  • 『新選組!』(滝本捨助)
  • 『八重の桜』(佐川官兵衛)
  • 『実録・小野田少尉遅すぎた帰還』(小野田寛郎)
  • 『李香蘭』(甘粕正彦)
  • 『大岡越前』(子吉)
  • 『鎌倉殿の13人』(梶原景時)
  • 王様戦隊キングオージャー』(コーサス・ハスティー


映画

  • 『ピンポン』(ドラゴン)
  • 『阿修羅のごとく』(勝又静雄)
  • 『いま、会いにゆきます』(秋穂巧)
  • 『隣人13号』(13号)
  • 『男たちの大和/YAMATO』(内田守二等兵)
  • 『硫黄島からの手紙』(伊藤海軍大尉)
  • 『レッドクリフ PartII』(甘興)
  • 『振り子』(長谷川大介)
  • 王様戦隊キングオージャーアドベンチャー・ヘブン』(ライニオール


アニメ/劇場アニメ

※1 新作歌舞伎版『あらしのよるに』でも同役を演じる。

※2 実写映画版でもCVを務めた。



ゲーム

※『超歌舞伎×千本桜』からのコラボ出演。



洋画吹き替え



CM



関連項目

歌舞伎役者

市川海老蔵 萬屋錦之介

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