監督としての手腕
現在でこそ世界屈指の名門であり常勝軍団のイメージの強いマンチェスター・ユナイテッドだが、ファーガソン就任前まで66-67シーズンでのリーグ初制覇を最後に低迷にあえぐ弱小チームであった。
そしてその弱小チームを変えたのがアレックス・ファーガソン、その人。
その育成手腕は多くのサッカー関係者から畏敬の念を多く寄せており、毎年のように主力が抜けてフォーメーション変更を余儀なくされても、何故かほぼ優勝戦線に絡んでくる。
実際現マンチェスター・ユナイテッドにおいてOB、現所属を問わずに主力と言われた選手の大半はファーガソンに見いだされて名を挙げた選手ばかりであり、最終的には喧嘩別れとなってしまったものの、あのデイビット・ベッカムもその一人。
そして日本人初のマンU所属選手となった香川真司を連れて来たのも、ファーガソンの仕事だった。
人物
言葉をオブラートで包むと言う事を知らない、ストレート過ぎる物言いと短気すぎる性格からピッチ内外を問わずにトラブルを起こす困った御仁。
特に、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督とチェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督らと繰り広げた舌戦は、プレミアリーグの名物として数えられた程。
ただ、モウリーニョとは決して険悪な関係ではなく、一度クラブとのいざこざからチェルシーを離れた際に「イングランドサッカーにとっての痛手」「モウリーニョを超える監督はチェルシーに現れないだろう」とコメントを寄せている(なお余談程度に言うと、モウリーニョ離脱後のチェルシーは本当にパっとしない成績が続いた)。
なお、2000年にナイト位を受勲されており、多くに人間から「サー・アレックス」と呼ばれ、ニュースなどでも「サー・アレックス・ファーガソン」と呼称される。