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ウィルバート・オードリー

うぃるばーとおーどりー

イギリスのキリスト教聖職者。 また『汽車のえほん』(原題: The Railway Series)の初代の原作者でもある。
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プロフィール編集

名前Wilbert Vere Awdry (読み:ウィルバート ヴィア オードリー)
生誕1911年6月15日
死没1997年3月21日
国籍イギリス
職業聖職者・作家
宗教キリスト教
受賞大英帝国勲章(大英帝国四等勲爵士)

概要編集

誕生から結婚まで編集

ウィルバート・オードリー氏(以下ウィルバート)は1911年6月15日に国教区牧師の父ベアと母ルーシー、兄キャロルの元に誕生する。

ベアとキャロルが司祭館の庭に作った鉄道模型のレイアウトがきっかけで鉄道に興味を持つようになった。

1914年、当時20歳だった兄のキャロルが第一次世界大戦に出兵したのだが、同年に戦死した。

1916年、ウィルバートの弟のジョージが誕生。

1917年、キャロルの死に悲しみに暮れた父ベアは、牧師を辞職し2回引っ越しをする。

その2回目の引っ越し先の近くには、グレート・ウェスタン鉄道の路線が走っており、ウィルバートはこの近くを通る列車を子守唄のように聞いており、この風景は後に汽車のえほん1巻第2話に生かされることになる。

1933年~1936年、大学を卒業したウィルバートはイスラエルで教鞭を取ることになるが、この頃クリスマスパーティに参加するのだが、参加条件に男性は女性のパートナーを誘う必要があり、同じく教師だったマーガレット・エミリー・ウェイルのパートナーとして誘い参加。

1938年、パーティーがきっかけでマーガレットと結婚する。

汽車のえほんの誕生と幕引き編集

1940年7月2日、最初の子供である長男のクリストファーが誕生する。

1942年、クリストファーが麻疹にかかり、ウィルバートは機関車の物語を聞かせた。後にこの物語は汽車のえほんとなり、多くの人たちに知れ渡るようになる

1943年、長女のベロニカが誕生する。

1946年、次女のヒラリーが誕生する。

1950年、マン島のソドー・アンド・マンの教区の牧師を務めたとき、どこにもソドーと付かない地名に疑問を抱いた時、架空の島ソドー島汽車のえほんの舞台にする事に決め、当時司書をしていた弟のジョージと協力し、ソドー島の設定をそこまでやっちゃうのという程に細かく設定した。

1951年2月22日、タリスリン鉄道の会員になる。

同年の夏、妻のマーガレットにタリスリン鉄道に行くことを拒否されたウィルバート一家は、イングランドのノーフォーク州に旅行した際、路面機関車を発見する。これがトビーが誕生するきっかけとなった。

1952年夏、タリスリン鉄道にてボランティア活動を行う。その際車掌を担当したが、売店の女性を乗せないまま発車させて、慌てて止めると言った出来事を起こした。この話は汽車のえほん10巻第3話に生かされた。

1965年に牧師を引退。

1972年に「井戸は干上がった」として、汽車のえほん26巻を最後にシリーズに一旦幕を閉じた。

継がれるバトンと別れ編集

1982年5月、トビーのモデル機が走る鉄道の100周年イベントの際、クリストファーが執筆した物語をウィルバートとマーガレットに見せた所、ウィルバートは出版社に持っていくことを勧め、このことがキッカケで汽車のえほんクリストファー原作で復活した。

1988年、マーガレットとの金婚式を迎える。

1989年7月21日、妻マーガレットが狭心症で倒れる。ウィルバートは1か月前から予定していた式典の演説をキャンセルしようとするも、前から約束していた式典をキャンセルはいけない節をマーガレットに言われ、演説のために出発する。

1989年7月22日深夜、妻マーガレットが亡くなる。マーガレットの亡くなった知らせでウィルバートは、予定をすべてキャンセルし自宅に戻る。このことがきっかけで精神的に参ってしまう。さらに足も悪くしてしまい、ついには倒れて病院に運ばれる。その後、次女のヒラリーの紹介した療養施設の甲斐あり、松葉づえを使って歩けるまでに回復した。

1994年10月27日、弟のジョージが亡くなる。この時ウィルバートは、ベットから起き上がれずジョージの葬式には参列できなかった。

1995年、汽車のえほん出版50周年を記念して、イギリス国立鉄道博物館で記念展示会が行われ、イギリス国鉄Class 91のNo91024に「The Rev W Awdry」の名が与えられた。

1996年、大英帝国4等勲士(OBE)に叙せられた。この頃ウィルバートは、体調が悪化していたため授与式に参加することは出来なかった。

1997年3月21日、老衰のため死去。

汽車のえほんの映像化に対するウィルバート氏の反応編集

BBC版編集

1953年、英国営放送局BBCは汽車のえほんを模型で映像化した。同年6月14日ウィルバート氏はテレビの本放送を見るが、内容は

生放送方式で、突然脱線するはずがない機関車が脱線し、大きな手が出てきて機関車を戻す、さらに、映像化した原作では出ないはずのジェームスが登場し、物語に大幅な改変が行われていた

6月23日、ウィルバート氏は新聞で次回の放送は承認しない節を載せ、国民的大ニュースとなり、BBCにはウィルバート氏に同情した人達から苦情の手紙が殺到する事態となり、結局これがキッカケでBBC版は作られることはなかった。

ミュージカル版編集

1973年、アンドルー・ロイド・ウェバー氏によってミュージカル風のテレビシリーズが提案される。

最初は良かったのだが、アンドリュー側が汽車のえほんの販売権を出版社側に要求したことが対立を生む。

当時の出版社取締役は、ウィルバート氏に対して和解できるかもしれない節を伝えるも、ウィルバート氏は

アメリカに流通して則られた場合、作品を汚れる節を訴え猛反発したが、結局契約が成立する。

が、アンドリュー氏の「エビータ」というミュージカルが成功したため、計画は頓挫した。

きかんしゃトーマス編集

1979年、ブリット・オールクロフトが英国中央情報局向けに蒸気機関車文化を伝えるドキュメンタリーを製作するにあたり、ウィルバート氏に参加を要請する。ブリット氏は汽車のえほんを対面に当たり予習として見ているうちに、汽車のえほんの映像化を考案する。

ブリット氏は、ウィルバート氏に映像化の話をするも、前述する映像化の失敗から「下手な真似をするな」と釘を刺されてしまう。

が、諦めなかったブリット氏は、映像化を行うことが出来た。


第2シリーズまでは、上手くいっていたが、第3シリーズでは確執が生まれてしまった。

第3シリーズは、原作ストックが不足したため、ウィルバート氏から許可を得てオリジナルのストーリーを混ぜることにした。しかし、ウィルバート氏の予想と違う作品となってしまった。

ウィルバート氏は作品のリアリティが無い点に反発し、特に第3シリーズの話の1つである「ヘンリーのもり」に対しては木が近すぎる・なんで森で休憩をするんだ信号所がパニックになると言った苦言を呈している。

続く第4シリーズは、模型技術の向上で使用できる原作が増加したが、オリジナル回の「ブルーベルれっしゃ」に幻滅したと言われている。

動画編集

ウィルバート氏が出ている動画編集

ウィルバート氏の解説動画編集

関連タグ編集

汽車のえほん

クリストファー・オードリー


きかんしゃトーマス

ブリット・オールクロフト

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