概要
かつてウインビーの2代目パイロットのパステルを国民的アイドルに育てる計画があった。
※(ウインビー機は、「ウィンビー」と記述される場合もあるが、以下本記事中は「ウインビー」と表記する。また、パイロットの方は後付けで機体の名前との区別のためパステルと命名された)
内容
これは「主演ゲームやアニメビデオ、グッズ販売、イベント、ライブなどでウィンビーを「バーチャル・アイドル」に育て上げていこう(マイコンBASICマガジン1993年2月号より)」として始められた、当時としては非常に壮大なマルチメディアプロジェクトで、1993年2月にパステルがゲームソングのアレンジをピアノ演奏したというコンセプトで発売されたアルバム《ウィンビーのネオシネマ倶楽部 エバーグリーン編》を皮切りに、1994年にアイドルデビューの一端としてキャラクター名義のCD『しあわせの楽園』が発売されるなど、様々な企画が行われた。
1990年代のアニラジブームに大きな足跡を残したラジオ番組「ツインビーPARADISE」も、元々はこの計画の一環として企画されたものである。
当時のBeeメイツの間では盛り上がり「ツインビーPARADISE」等の関連作品も大きな商業的成功を収めたらしいが、それら関連作品が独自の世界を広げて行く中でパステルのアイドル化という当初の方針は次第に忘れ去られ、元々の目標からすると企画倒れのまま風化して終わったと言える。
パステルの主演ゲームも結局制作はされず、ツインビーシリーズも『ツインビーヤッホー!』、『ツインビーRPG』で打ち止めになった。…この計画はツインビーシリーズ、そして…パステル自身の『忘れられた影』の存在を示す遺産(レガシー)だと言えなくもないだろう。
結論
なお、【ウインビー国民的アイドル化計画】は、企画サイドがキャラクターをバーチャルアイドルと呼んで売り出した初めての事例と言い伝えられている。後年の『ときめきメモリアル』(藤崎詩織など)のようにマスメディアで大きく取り上げられることは無かったため、バーチャルアイドルとしての知名度は低いと言わざるを得ないが、上記のマルチメディア展開の成功と合わせて歴史的には極めて大きな意義のあるレガシーだと言える。
ちなみに
『実況おしゃべりパロディウス』(スーパーファミコン版)のウインビーのキャラ紹介文によると、「【ウインビー国民的アイドル化計画】によってアイドル化されようとしているのがパステルであってウインビー自身ではない」…ということをウインビー本人は理解していないらしく、ウインビー自身は、(パステルではなく)自分がアイドルになれる日を楽しみにしているらしい……とのこと。『オトメディウスX』の件といい、ウインビーは思い込みの激しい性格のようである。