日本では、19世紀後期、ヴィクトリア朝時代に盛んに製作された、前輪が巨大な自転車(ペニー・ファージング)を指す事が多い。この呼び名が定着したのは、現在の自転車の原型となる「安全型」(セーフティー)が売り出された時、従来のペニー・ファージングが「普通型」(オーディナリー)と称されたことによる。
安全型登場以前の自転車は大変シンプルな構造でペダルが車輪に直結していた(現代の幼児用三輪車と同じ構造)ため、高速化を図るには車輪を大型化するしかなく、最終的には脚で回せる目一杯まで前輪が巨大化した。また、当時のタイヤは車輪にゴムを貼り付けただけの代物であり、乗り心地は酷いものだったが、前輪を巨大化することで乗り心地もよくなった。
ブレーキがなく(後期のモデルには申し訳程度についたものもあったが)、ペダルの加減で加減速する必要がある。構造上、急減速は不可能で、無理に減速すると頭から地面に激突する、大変に危険な乗り物だった。また、まともなブレーキがないので急坂を下ることは事実上不可能である。それでもその高速性能は現代の競輪用自転車にも匹敵する、当時としては画期的なもので、中流階級の男性には爽快なスリル溢れるスポーツとして広まった。
自転車が実用の乗り物として一般化したのは、1885年の安全型の登場以降である。安全型は1888年の空気入りタイヤの登場により快適な乗り心地を手に入れ、以降、高速だが危険で扱いにくいペニー・ファージングは急速に衰退していくことになる。