概要
投稿主の住む地域ではこけしのことをコッケさんと呼んでいた。漢字では「固芥」である。
明治に入ってすぐの頃、飢饉と水害によって、村は外部から孤立してしまった。
そして、村が危機に陥ってから、12月28のことである。
村の知恵が遅れた子供が、村の備蓄を食べてしまったのだ。
その子供は、村の水番の子供だった。
責任を感じ、子供を殺して詫びようと考えたが、すぐに実行はできなかった。
そうしているうちに、1月28日の深夜、水番が首を吊ってしまったのだ。
その死体を見て、備蓄を食べた子供はなんと目を輝かせ
「みましたか!みましたか!」とはしゃいでいた…
それを見た村人たちは、狂気の子供を殺そうと決めたのだった。
実行日子供は、井戸に竹を渡して、子供を吊るした。
ものすごい形相で睨んでくるので、まぶたの上から竹串を通した。
そして、開けた年には、飲水から病気が発生し、多くの人が命を落とした。
その後、その犯人は殺した子供ではなく、別の子供だったことが判明した。
それから、殺した子供を鎮める日として1月28日はこっけさんの命日と言われるようになった。
投稿主はあることに気づいた。芥の字は、くさかんむりと、八の字で二十八と読めと…そして固芥を縦読みすると…
固
芥
目を潰された子供が、竹の枠に吊るされているような形に見えるのだ。