これ以上の脚本を描くことは、誰にもできない。
ゴドルフィン代表 マイケル・バナハン
概要
プロフィール
馬名 | コディーズウィッシュ |
---|---|
欧字表記 | Cody's Wish |
生年月日 | 2018年5月3日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | Curlin |
母 | Dance Card |
母の父 | Tapit |
管理調教師 | ウィリアム・モット(米国) |
馬主 | ゴドルフィン |
生産 | ゴドルフィン |
父CurlinはBCクラシック、ドバイワールドカップを勝利しG1レース計7勝を誇る名馬。母父にはウッドメモリアルステークスを勝利したTapitという超良血馬。
主にダートマイルで活躍した競走馬であり、年度代表馬にも選出されるなど、21世紀のアメリカ競馬界を代表するダートマイラーである。
だがこの競走馬に関しては、その戦績と同様に、あるいはそれ以上に、ある人物との絆が必ず語られることとなる。その人物の名は、コディー・ドーマンという。
馬好きの少年、コディー・ドーマン
2005年12月18日。コディー・ドーマンはアメリカで誕生する。ここまではごく普通の幸せな家族の新たな命の誕生であったが、コディーは産まれてすぐに難病であるウォルフ・ヒルシュホーン症候群に侵されていることが判明する。
先天性遺伝子疾患であること。発症率が5万分の1という稀少な症例であったこと。そして何よりも、この病気に罹患した場合、成人まで生きられる可能性は極めて稀であったために、医師はドーマン夫妻に赤ん坊のコディーの余命は2年に満たないと宣告せざるを得なかった。
そのような絶望的な症例に襲われながらも、ドーマン家族は懸命に病と闘った。その結果、余命2年を宣告されたコディー少年は、12歳の誕生日を迎えることとなる。これだけでも充分に奇跡と言える出来事であった。この記念すべき誕生日プレゼントを彼が両親にリクエストした。
「お馬さんに会いたい」
自身が寝たきりの生活であったこともあり、彼は馬が好きであった。そんな我が子の願いを受け、両親はメイク・ア・ウィッシュ財団という、難病を抱えてしまった子供たちの夢をかなえるために活動するボランティア団体の「あなたの夢をかなえましょう企画」に申し入れる財団側はこの要望を受け、この希望をかなえるべく、ゲインズボロファームにアポイントメントを取り、家族をこの牧場に招待した。
車いすに乗ったコディーが現地で馬たちの様子を眺めていると、ふと彼の膝元に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ当歳馬の姿があった。その馬は熱心に彼のことを嗅ぎ続け、それを感じ取ったコディー少年は喜んでいたという。
コディーの願い
最高の誕生日プレゼントを受け取ることができたコディー少年であったが、数日後に発生した内臓出血に伴う危篤状態。それをどうにか脱した後に待ち受けていた新型コロナウィルスによるパンデミックと外出制限。これによってコディー少年の精神は削り取られてしまい、次第に彼は鬱病を発症することとなる。その症状の重さは普段彼の介護に慣れているはずの家族ですら追いつめられてしまうほどであったという
この状況を改善できるのではないかと、家族はもう一度、彼を競走馬の牧場へと連れていくことにしたという。大好きな馬を見れば症状が改善するのではないかと考えた結果であった。
そして再びゲインズボロファームにやってきたドーマン家族は、額に大きな菱形の流星を持つ2歳馬が、ゆっくりとコディー少年に近づいてくるをの見て驚いたという。
何故ならその馬は、2年前にコディー少年の膝を熱心に嗅いでいた幼駒であったのだ。その馬はコディー少年のことを、しっかりと覚えていたのである。その時と同じように、コディー少年の膝を熱心に嗅ぎ始めた2歳馬の姿を見た少年は、家族ですら数度しか見たことがない、心からの笑い声をあげたのである。
この姿に強い感銘を受けたゴドルフィン陣営は、その馬の素質を認めてモット厩舎に預け、そして馬名にはこのように名を付けた。
コディーズウィッシュ コディーの願いと
僕が見てあげなくちゃ
2021年6月4日から始動したコディーズウィッシュであったが、3戦走り3回連続3着という記録となってしまう。あと一歩届かない状況に陣営のみならず、その馬を応援していたコディー少年は、自分も競馬場に行って応援すると両親に伝え、そして競馬場に足を運んだ。
すると、そこからコディーズウィッシュは未勝利戦、条件戦を3連勝する。そしてドーマン家族はこの勝利を共に祝うため、陣営によりウィナーズサークルへと呼ばれることとなった。
その後2着1回を挟んで、G3のウエストチェスターステークスを優勝。阪神ステークスを勝利してG1の舞台へと歩を進めた。
フォアゴーステークスでは圧倒的一番人気のジャッキーズウォリアーを最終ストレートで交わして優勝を獲得しG1ホースの仲間入りとなる。そして勢いそのままに、陣営はアメリカ競馬最高峰の舞台であるブリーダーズカップへと殴りこむこととなる。
願いは遂に結実する
2022年ブリーダーズカップ。コディーズウィッシュは得意としているダートマイルを選択する。この時、コディー少年は親友の一世一代の晴れ舞台に、自分が行かないわけにはいかないと両親に「どこに行っても恥ずかしくないような立派なスーツ」頼んだという。その願いはすぐにかなえられ、彼のために用意されたスーツを着込んだコディー少年は、車いすに座り、関係者の計らいもあり、最終ストレートが一望できる最前列へと案内された。
「願いは遂に結実する! 君の願いだ、コディー!」 --ラリー・コムルス--
レースは2番人気サイバーナイフが逃げを打つ。最期まで粘るサイバーナイフであったが、外から追い込んできたコディーズウィッシュがアタマ差で差し切り優勝を飾る。
コディー少年の夢が叶った瞬間でもあった。そして陣営はドーマン家族をウィナーズサークルへと招待するだけでなく、コディー少年の膝に、勝者にのみ許される優勝レイがかけられ、関係者から祝福されたのである。
ありがとう、コディー
2023年も現役続行となったコディーズウィッシュは初戦として選んだチャーチルダウンズステークスを快勝。次走のメトロポリタンハンデキャップにも勝利。だが3戦目のホイットニーステークスではアメリカの葦毛の怪物ホワイトアバリオの前に敗退することとなる。BCダートマイルを最終目標としていた陣営は立て直しを図るべくヴォスバーグステークスに出走しこれに勝利。コディーズウィッシュを下したホワイトアバリオがBCクラシックへと向かったこともあり、満を持してBCダートマイルへ2連覇に挑むこととなる。
この時もコディー少年は病身ながらも家族と共に現地で観戦する。そしてこの時にはすでにコディーズウィッシュがこのレースをもって引退することが決まっていた。故に、陣営は負けるわけにはいかなかった。何よりも、命を削り応援してくれる、コディー少年のために。
レースは3番人気ナショナルトレジャーが悠々と逃げ、いつものように後方からの競馬を選択したコディーズウィッシュは位置取りの問題から、大量のキックバックを浴びる格好となる。このためコディーズウィッシュには非常に厳しい展開となり、最終直線でもナショナルトレジャーは二の足を使って加速したほど。
だが、昨年のBCダートマイル王者は鹿毛の身体が変色するほど泥をかぶった状態のまま、猛然と襲い掛かってきたのである。2頭が馬体をぶつけるほどの激しい接近戦の末、激に応えたコディーズウィッシュが鼻差で差し切り優勝を飾る。それはゴールデンセンツ以来2頭目のBCダートマイル連覇達成の瞬間であり、コディーズウィッシュは再び、コディー少年に最高の贈り物を届けて見せたのだった。
空へ
コディーズウィッシュの劇的な引退レースの翌日。ドーマン家族は帰路についていた。その時、コディー少年の容体が急変する。帰路であったために治療を受ける時間的猶予はなかった。
コディー・ドーマン死去 享年17歳
このニュースはアメリカ競馬界を駆け巡り、関係者は彼の死に対するコメント発表し、中にはブリーダーズカップ主催者団体からのコメントも含まれていた。
そして、翌年のエクリプス賞において、コディーズウィッシュは年度代表馬、そして最優秀ダート古牡馬を受賞。その際、司会はこの発表をコディー少年の妹に譲った。
2人なら、完璧になれる。
コディーズウィッシュは無事引退しジョナベルファームにて種牡馬入り。年度代表馬にも輝き、その名の由来などもあり話題性も高かったことから多くの繁殖が集まった。2025年1月には既に産駒が誕生し、コディーズウィッシュとコディー少年の物語は、次世代の競走馬たちによって語り継がれることとなる。