概要
わずか10歳でコンサートデビューするなど類いまれな才能を持って生まれ、パリ音楽院で学んだ後に教会オルガニストとしてキャリアを積む。
オルガニストを引退してからはフリーランスのピアニスト、指揮者として成功を収め、ヨーロッパとアメリカで人気を博した。
若いころはシューマン、リスト、ワーグナーの当時最先端の音楽に熱狂していたが、彼自身は音楽史を専門とする学者でもあったためか古典的なフランスの作曲家の伝統にとどまっている。
これにより晩年は印象主義音楽や音列主義音楽の作曲家と軋轢を生むことになった。
著名な作品に『序章とロンド・カプリチオーソ』、『ピアノ協奏曲第2番』、『チェロ協奏曲第1番』、『死の舞踏』、オペラ『サムソンとデリラ』、『ヴァイオリン協奏曲第3番』、『交響曲第3番「オルガン付き」』、『動物の謝肉祭』など。
ストラヴィンスキーやフランス6人組の作品を予感させる新古典主義的な要素を持った音楽を持つが、当人は晩年保守的だったとみなされることが多い。
1921年12月16日、心臓発作で死去。