概要
ジャン・シベリウス(1865~1957)
ヴァイオリニストを目指していたが、あがり症のため断念し作曲家に転身。
ゆえにシベリウスの弦のオーケストレーションは独特の美しさがあると定評がある。
40代に喉の腫瘍を摘出する手術を受けるなど、長命ではあったが、決して平坦な音楽制作環境ではなかったためか60代以降はほとんど新作を発表することはなかった。
20世紀の代表的なシンフォニストの一人
人気はマーラーや、ショスタコビッチには及ばないが、個性的な7曲の交響曲のうち第2番と第5番はよく演奏される人気曲である。
シベリウスは交響曲の理想の姿を求めるためにモチーフとして、時には、ベートーヴェン、またある時は、ハイドンやモーツァルト、あるいはバロック以前と1曲ごとに異なるアプローチを試みている。ゆえに、彼の交響曲の最大の特徴は、「全体を通じて特徴が見いだすことができない」ことだとも言われている。また、理論的で緻密な構造にこだわっており、
「ブルックナーの交響曲は単純すぎる。研究していてがっかりする」
と発言したほどであった。
第1番は、ロシアのカラーにフィンランド人の魂をこめた佳作であり、万博で好評を博し彼の決定的な出世作となった。スケルツォ等ではブルックナーの影響も大きいと言われている。
後期ロマン派らしく、ハープをちりばめたり、情熱的なパトスの燃え上がりを見せたりして聞き手を最後まで引きつける魅力が満載だ。
第2番は、20世紀初頭に人気を博した世界レベルの名作である。ドイツ風の整理された洗練された書法の中に、ロシアの迫害と冬の厳しさに耐えるフィンランド人の魂が表現されている。そしてそれは、頌歌のように高揚していく。ベートーヴェンを意識した作品で、いわゆる「運命」のブリッジ構造が見られる。人気ではずば抜けている名曲である。
第3番は、モチーフをハイドンに変更し、いよいよ後期ロマン派とは決別する姿勢を示す。過去の成功で人気は勝ちえたが、聴衆は室内楽的な響きに当惑していたという。この曲でスケルツォとフィナーレのブリッジを行い、第7番の単一楽章交響曲へのアプローチを見せている。
第4番は、喉のガンのため、自分の死と見つめる中に描かれた曲である。異常とも思える調性や和音で組み立てられ、全奏も拒む態度を徹底している。まさに緊密にして緊迫した内容。あまりの厳しくわびしい響きのため、官能性を求める聞き手には拒絶されている曲である。ただ第3楽章ではフィンランドの冬の厳しくも美しい夢幻の境地に触れることができる。
第5番で、引きこもりのような作品を描いたシベリウスは、翻って外部に向けてみずみずしく輝かしい力を解放している。まさにフィンランドに充満する霊気が透明な感覚とともに青空に向かってさわやかに拡散していく感じである。この清新な感覚に聴衆は喜び、今日でも第1番と2番手争いをしている人気曲として好まれている。第1楽章とスケルツォのブリッジを行っているが、楽章は白熱の中に完全燃焼してゴールする。
第6番では、モチーフはバロック以前の教会旋法やルネッサンス時代の宗教音楽である。再びハープを駆使し非常に個性的な表情を見せる音楽である。美白化粧品のアイドルのCM音楽に向いているとでも表現すればよいだろうか?(下手な譬えですみません)
第7番では、シューマンが試験的に試みた単一楽章交響曲を完成させている。各部分は4つの楽章の要素を有機的に組立てている。ドイツ的でもあり、フィンランド的でもある。まさにシベリウスの考えた最終形態の交響曲。ゆえに第8番の作曲は途中で放棄された。
シベリウスとジンクス
シンフォニストのジンクスの1つに「交響曲を9曲作曲すると・・・」というのがある。
これは習作を除く。シベリウスも練習曲として「クレルボ交響曲」を描いたのだから(結構大作だと言われているが)。シベリウスのライバルともいえるマーラーは完成した交響曲は9曲であった。第10番の第1楽章で力尽き、その断章を後世に残すか最後まで悩んでいた。研究対象のブルックナーは第9番の第4楽章で力尽き、シューベルトの未完成交響曲のようになってしまった(究極の完成度で第3楽章が終わるとまるで、全曲が終わったかのような感動が残る)
シベリウスは50代にして終止符を打ったので、このジンクスとは無縁だった。しかし、もう一つのジンクスは破れなかった。これは無名な学者の意見なので、あまりおもしろい話ではないかもしれません。一応お話させてください。それは「イギリスで大成功を収めた作曲家は、生前に大ヒットしても死後は忘れ去れるかのように人気が落ち目になる」というものだ。
バロック後期のヘンデルは、生前はバッハなど問題にならないくらいの人気者だった。しかし、今日では立場が見事に逆転している。ヘンデルのCDをショップで探すのもちょっと骨が折れるだろう。バッハの権威については私のような素人が語るまでもないだろう。
次にハイドンだ。やる気のない指揮者がNHK交響楽団で、前座のつまらないハイドンの演奏をして、あくびをしていた人は結構いるはずだ。NHK交響楽団はやる気のない指揮者では酷い演奏をするし、スウィトナーのような名指揮者が情熱的な演奏をすると感動がみなぎるすばらしい演奏を聞かせてくれる。そんなみなさんは、イギリスでの熱狂的な拍手とブラボー!が飛び交っていたコンサートの様子など想像もできないだろう。「驚愕」の演奏会では、ブラボーの合唱は演奏中でも飛び交っていたのである。
他にも、渡英したフンメルなど何人もいるようだ。
シベリウスは死の直前の頃には、セシル・グレイなどのイギリスの学者は「シベリウスは、
ベートーヴェン以降で最高のシンフォニスト。例えば第4交響曲には、無駄な音符が1つもない」などと絶賛していた。これは大変な発言である。ブラームス派の学者が「ブラームスの第1交響曲こそベートーヴェンの第10交響曲だ」と評価したとき反ブラームス派(ワーグナー派)の学者は「ふざけるな!巨匠であるシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンを飛ばすことが許されると思っているのか?!」と反発したものである。
しかし、その反動で、シベリウスはいつしか忘れ去られてしまった。突然ですが、アサヒビールの関係者のみなさん。失礼ながら昭和時代の末期に「アサヒビール」が忘れ去られた時代があったのを覚えていませんか?インタビューにて「えーと、ビールと言えば、キリン、サントリー、サッポロ、あとどこだったかな?」。シベリウスも一時似たような状態になってしまった。アサヒビールは「お客さまは新しいものを求めている」などの標榜を掲げ、製品開発と営業が一体となって立て直しに総力を挙げた。そして「アサヒ・スーパードライ」のようなヒット商品が立て続けに出して見事に復活を遂げたのである。しかし、没後のシベリウスは「アサヒ・スーパードライ」のような大ヒット作と認められるものはなかった(交響曲第2番は「アサヒ・スタイルフリー」くらいの人気はあるかもしれませんが)。
そんなシベリウスも、イギリスのジョン・バルビローリなどの世界的な指揮者が徹底的に取りあげて、次第に人気が向上してきたのである。