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テオドシウスの城壁

ておどしうすのじょうへき

テオドシウスの城壁とは、東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープル(現:イスタンブール)を囲む大城壁。西暦1453年にオスマン帝国が火砲を用いて破るまで、奇策を除き破られる事が無かった。
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概要編集

テオドシウスの城壁とは、東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを守っていた大城壁。

5世紀に都市の防御力を高めるべく築かれた大城壁で、

堀と二重の城壁の三重構造で成る。全長7km。

その防御力は極めて高く、正面攻撃では1453年にオスマン帝国軍が火砲を用いて突破するまで、

コンスタンティノープルを攻めた幾多の敵を追い払ってきた。


後、コンスタンティノープルはイスタンブールと名を変え、

オスマン帝国の都となるが、名が変わってからも、城壁は都市の守りとして長く機能した。


現在、世界遺産に登録されている。


正面からは破れなかったテオドシウスの城壁。しかし・・・編集

「第四回十字軍」は幾多の侵略者が破れなかったテオドシウスの城壁を破らず、

しかしコンスタンティノープルを陥落させた。

ヴェネチア海軍の協力を得て、海側と陸側から同時に攻撃を仕掛けたのである。

この攻撃の中、時の東ローマ帝国皇帝は逃亡。

残された者が別の皇帝を即位させ、城門を十字軍に開いたのである。


だが、この皇帝と十字軍との間に金銭トラブルが発生したため、

帝国と十字軍の関係は険悪になり、翌年十字軍は再びコンスタンティノープルを攻撃。

略奪と破壊と暴行を働いた後、領土を諸侯に分配し、「ラテン帝国」を建国。

対して東ローマ帝国側は、コンスンティノープルを脱出した皇族が、各地で亡命政権を打ち立てた。

そうした亡命政権のひとつである「ニカイア帝国」が、後に帝都を奪還することになる。


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