概要
ドン・コサックとは16世紀ロシア・ウクライナ流域を流れるドン川で生まれたコサックである。
元々ここには遊牧民が住んでおり、更にそこへロシア帝国の圧政に耐えられず逃げてきた人々がやってきてドン川で集団を作った。彼らはやがてオスマン帝国やクリミア・ハン国(チンギス・ハーンの末裔の国)に喧嘩を売り、どんどん強くなっていく。そうして強くなった騎兵を傭兵として売ることで更に強くなっていった。
ステンカ・ラージンの乱
1667年に起こったドン・コサック+農奴の大反乱。17世紀の危機とされる一大事件であり、首謀者のラージンが通った町の貴族は尽く殺害された。最終的にシンビルスクの戦いで反乱軍は敗れ、ラージンは四つ裂きの刑に処された。
プガチョフの乱
ドン・コサックVSロシア帝国。時の女帝エカチェリーナ2世の治世、農奴制に耐えられず蜂起したエメリアン・プガチョフを初めとするドン・コサック達は大規模な農民戦争を引き起こす。プガチョフは自らを救世主とプロパガンダを広め、民衆・宗教指導者・少数民族らの根強い支持を得る。
結局鎮圧されるのだがこの戦争によりエカチェリーナ2世は農民を大いに恐れ、農民達をより抑えつけるようになる。
ソ連時代
ロシア皇帝に忠誠を誓っていたため、ソ連時代は「悪役」のレッテルを貼られた。ソ連末期には名誉回復が行われたが、今もなおロシアでは嫌われている。
「コサックの国家」を自称するウクライナですらドン・コサックは「悪いロシアのコサック」と言われ嫌われる傾向にある。
関連イラスト
ドン・コサックに関するイラストを紹介してください。