解説
ペスト医師は中世ヨーロッパにおいて黒死病(ペスト)に感染した人たちを専門に扱う医者であった。14世紀ごろから18世紀ごろまで活躍した。
彼らは他の医師とは異なり個人により雇われるのではなく、都市および地域と(医者としては高額な)契約を行い、そこから給料を得て治療に当たったため、貧富の差なく治療を施した。
ただし彼らは医者としては有能ではない。医者としては駆け出しで十分な知識が無い者が多かったが、仮に医学の知識を持っていても、彼らの施した医療は当時の医療知識の限界により治療効果はほとんど望めないものであった。また、伝染病を扱う仕事のため人数が限られており、希少な存在であった。
希少であったためか、彼らペスト医師が誘拐され身代金を請求されて支払う事件なども起きている。
スタイル
彼らははじめは色々なスタイルをとっていたらしいが、17世紀前半に(感染を防ぐため)発明されたスタイルが特に有名である。
- 蝋引きされたガウン(布もしくは皮製)
- つばの広い帽子
- 鳥のくちばしのようなものをつけたマスク(ペストマスク)…鳥のくちばし状の部分には香草等をつめ、空気感染等を予防したとされる。
- 木の杖 (患者を手を触れずに取り扱うため)
このスタイルが取り扱う病気とあいまって死神のイメージを想起させるのかもしれない。
フランスの医師である、シャルル・ド・ロルムが考案しパリで使用されていたがヨーロッパ全土に広がっていった。ただし、当時の医療知識は乏しいため、実質的な効果があったかは疑わしい。
主に、病の原因と思われていた瘴気(汚い、臭い空気)を遠ざけ、マスクにはめられたアイピースは悪霊を遠ざけ、またペスト患者の視線によって病を防ぐことを期待した。
仕事と特権
彼らは「黒死病の患者を診ること」のほかに「病死者の数を把握し、報告すること」、「命を失おうとしている患者に身の振り方を助言すること」なども仕事としていた。
遺言状の作成も職務であり、大流行していた時は大量の遺言状を作成する事もあった。
このため、中世ヨーロッパでは通常認められていなかった遺体の解剖等も認められていた。
治療法としては、当時はメジャーな治療法である瀉血や、強壮剤の投与、賛美歌を歌うなどである。讃美歌は神の力で悪霊を追い払う事を期待した物と思われる。
当然ながら、さしたる効果は望めない物で、患者の体力に期待して治る事を祈るのが精々である。
ただし、「治療を施された」と言う思い込みで、プラシーボ効果が働いた可能性はある。
著名なペスト医師
- ノストラダムス:時代を先取りした治療法や、ペスト媒介の原因が鼠であると言い鼠退治を行う、瀉血を否定し、アルコール消毒や熱湯消毒を取り入れた。更にキリスト教的には否定されていた火葬を行いペストを食い止めたと言う伝説が残り、預言者として彼の名声を上げる事となった。…とされていたが、上記の伝説は後付けであり、ノストラダムス自体は瀉血を試みている他、伝統的な治療法を何度も施している事が確実視されている。ただ、彼が何度もペスト流行地域に赴いて治療を施していたのは事実であり、一説にはペストに対する抗体が出来ていた可能性があるとされる。
- パラケルスス:植物を利用する薬が主流だった中で、錬金術を使用した化合物を治療に用いるなど当時としては型破りな理論、行動を行った人物。ペスト流行中のエピソードは特に無い物の、「医科学の祖」と呼ばれ、言わば医者であり、化学者でもあった。
その他
この仮面は、後に『ヴェネツィアの仮面祭り』でも伝統的な仮面の一つとして継承され、ドクトル(医者)という名前で今世に伝えられている。