モーレツ斎
もーれつさい
CV:青野武
木手英一(キテレツ)の先祖・キテレツ斎のライバル。ロボットのコロ之助を作った。子孫・猛烈一はキテレツのことを嫌悪している模様。
キテレツ斎とモーレツ斉は長崎で一緒に蘭学を学んでおり、 いつか西洋人をびっくりさせる発明を作ると誓い合う等、仲は良かった。
長崎で別れた後も、互いに近況を報告しあい、
キテレツ斎が「如意光」を発明すれば、モーレツ斉は同じ効果のある「一寸小槌」を発明したりと 切磋琢磨し、発明家として「東のキテレツ斎、西のモーレツ斎」といわれるまでになった。
その後、それぞれ徳川御三家の水戸藩と尾張藩の発明指南役に抜擢された。
しかし、それが不幸の始まりで、その頃お互いに「からくり人間」の発明に取り組んでいたところ、 将軍様のお耳にとまり、将軍様はその「からくり人間」を見たいと言い、
期日を決めて、完成を急がせた。
キテレツ斎様は期日までにからくり人間を完成させ、将軍様に完成させたからくり人間を披露。
しかし、刻限になってもモーレツ斎は姿を現さず、待ちくたびれた将軍様は「この勝負、奇天烈斎の勝ちといたす」と話し、去っていった。
その直後、モーレツ斎とからくり人間が「最後の調整に手間取りまして」と遅れてやって来た。
恥をかいた尾張藩の殿は「手打ちにいたす」とモーレツ斎に斬りかかると.モーレツ斎の作ったからくり人間が刀を弾きかえした。
家臣達がモーレツ斎を取り囲み、 からくり人間は斬りかかってくる家臣達に抵抗した。
モーレツ斎はからくり人間を止め、キテレツ斎に「お前さえいなければ天下一の発明家になれたのじゃ!」と逆恨みし、刀で切腹し、自害した。
この事件で猛家はお家断絶となり、歴史からその名前が消えた。その後、モーレツ斎の息子もキテレツ斎を逆恨みし、「キテレツ斎は発明品で世の中を悪くしている。」と出鱈目を言い、キテレツ斎は罪人として捕まってしまった。