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概要編集

戦後しばらく国鉄はGHQの命令により両数を確保するため、木造2軸貨車を改造したヨ2500等の急造車掌車で凌いできた、本形式はこれらの車両を置き換えるため1950年から1958年にかけてヨ2000をベースに開発された。

製造編集

新造車編集

各年度の製造メーカーと両数は次のとおり

1950年度

  • 富士車輌50両(3500~3549)

1952年度

  • 帝國車輌工業50両(3850~3899)
  • 新潟鐵工所40両(3900~3939)
  • ナニワ工機10両(3940~3949)

年度

  • 日本車輌本店30両(ヨ4400~ヨ4429)
  • 日本車輌支店15両(ヨ4430~ヨ4444)
  • 川崎車輌12両(ヨ4445~ヨ4456)
  • 新潟鐵工所28両(ヨ4457~ヨ4484)
  • 帝國車輌工業20両(ヨ4485~ヨ4404)
  • 東急車輌製造10両(ヨ4505~ヨ4514)
  • 宇都宮車輌9両(ヨ4515~ヨ4523)
  • 輸送機工業23(ヨ4524~ヨ4546)
  • 飯野産業8両(ヨ4547~ヨ4554)
  • 富士車輌18両(ヨ4555~ヨ4572)
  • 若松車輌11両(ヨ4573~ヨ4583)
  • ナニワ工機16両(ヨ4584~ヨ4599)

1954年度

  • 帝國車輌工業30両(ヨ4600~ヨ4629)
  • 東急車輌製造20両(4630~4649)
  • 富士車輌35両(ヨ4650~ヨ4684)
  • 若松車輌15両(ヨ4685~ヨ4699)

1955年度

  • 川崎車輌32両(ヨ4700~ヨ4731)
  • 新潟鐵工所33両(ヨ4732~ヨ4764)

1956年度

  • 輸送機工業40両(ヨ4765~ヨ4804)

1957年度

  • 富士車輌40両(ヨ4805~ヨ4844)

改造車編集

トキ900から新津、多度津、松任、土崎、西鹿児島、名古屋、高砂、新小岩の各工場で合計750両が改造された。

1951年度

  • 多度津工場100両(ヨ3550~ヨ3649)
  • 西鹿児島工場50両(ヨ3650~ヨ3699)
  • 松任工場50両(ヨ3700~ヨ3749)
  • 土崎工場100両(ヨ3750~ヨ3849)

1952年度

  • 多度津工場30両(ヨ3950~ヨ3979)
  • 土崎工場30両(ヨ3980~ヨ4009)
  • 松任工場70両(ヨ4010~ヨ4079)
  • 高砂工場90両(ヨ4080~ヨ4169)
  • 名古屋工場50両(ヨ4170~ヨ4219)
  • 新津工場80両(ヨ4220~ヨ4299)

1953年度

  • 新津工場60両(ヨ4300~ヨ4359)
  • 新小岩工場40両(ヨ4360~ヨ4399)

運用編集

老朽化した車掌車を置き換え全国で運用された。

本形式は75km走行を可能としていたが1959年に12両が2段リンクに改造されヨ5000~ヨ5011となった。

その後貨物列車の速度向上の要望に対応するため1967年以降多くの本形式が2段リンクに改造され元の番号に10000をプラスしてヨ5000に編入された。2段リンクに改造されなかった本形式は北海道及び四国で引き続き運用された、また1963年の粘着運転開始後の碓氷峠でも本形式が運用された。

その後老朽化やヨ8000に置き換えられる形で数を減らし1987年の国鉄分割民営化時にはJR北海道に1両JR東日本に4両が継承され2016年にヨ4350が廃車されたことで形式消滅した。

保存編集

ヨ3961:碓氷峠鉄道文化むら

関連タグ編集

ヨ5000 :5000番台及び13500番台の車両は本形式からの改造車

トキ900:本形式の改造種車

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