概要
(1939年〈昭和14年〉5月21日 - 2020年〈令和2年〉12月20日)。
18歳で、内田裕也と佐川満男のバンド「ブルージーン・バップス」にボーカリストとして加入。「美川鯛二」の芸名で芸能界にデビュー。しかし鳴かず飛ばずであった。
その後、楽曲提供をメインに活動する。
1968年、佐川に『今は幸せかい』を提供し、75万枚の大ヒットソングとなる。
その後、細川たかしの『心のこり』、桜田淳子の『青い鳥』などヒットメーカーとして名を馳せる。1972年、33歳にて中村が作曲を手掛けたちあきなおみの『喝采』が80万枚を超え、タレント活動を開始する。しかし同時期うつ病に罹患。
薬は処方されず、その後中村は日頃から明るくいるよう努めた。1982年、細川たかしの『北酒場』がヒットし、「笑っていいとも!」へのレギュラー出演を機に陽気な性格へとなっていった。
1995年に第14回奈良県知事選挙、1996年には第41回衆議院議員総選挙に立候補したが共に落選。
2000年代以降は、自らの歌手活動を再開し、ライブも精力的に行った。
2020年12月20日、肝臓がんのため大阪市の病院で死去。81歳没。