新垣隆
にいがきたかし
2014年までは現代音楽家として様々な楽曲を制作する傍ら、桐朋学園大学音楽学部の非常勤講師として勤めており、学生たちからは「ガッキー」の愛称で親しまれていた。
しかし、後述するように2014年からはゴーストライター問題で自主的に同大学を退職し、以降、フリーの音楽家として様々な活動を行う。
25歳の時に佐村河内守と出会い、ゴーストライターとして18年に渡って楽曲を代作してきた。
20曲以上も代作し、その曲によって佐村河内は大きな栄誉を得たものの、真の作者である新垣への報酬は合計して約700万円足らずであった。
しかしこのことについて佐村河内サイドと法的に争うつもりはなく、楽曲の著作権も放棄すると語っている。
2012年から2013年にかけて、佐村河内が全聾の作曲家として注目され始めたころから、彼との関係解消を試みるようになり、2014年に佐村河内守のゴーストライターであることを週刊誌に告白する形で、彼のゴーストライターであったことが全国に発覚する。
一連の騒動を受けて、世間一般では「佐村河内守のゴーストライター」というイメージが定着してしまったが、実はそれより以前から現代音楽の分野では高い評価を得ており、関係者の間でもかなり知名度が高かったという。学生からも講師として非常に人気のある人物であり、実際、本人の申し出により大学側は退職を決定したが、学生たちの署名活動により一時は取りやめになりかけたという逸話が残っている。しかしケジメをつけたいという新垣隆本人の意志は固く、辞表を提出した。
騒動後は音楽の公演などで引き続きピアノ伴奏として活動する傍ら、その独特のキャラクターが受けてテレビ出演も行うようになり、タレントとしても活躍する。
因みに騒動が起こった2014年には色々な人が色々ヤバイことをやらかし、謝罪会見を開いており、新垣氏もその1人であるが、一部では、会見の際の事実を認める姿勢や他人のせいにしない真摯な態度により、同年に行われた謝罪会見の中でもトップクラスに高い評価を受けている。後述のタレントとしての活躍もこの時の対応が素晴らしいものだったからこそだろう。
2015年、『仮面ライダーゴースト』のオープニング曲「我ら思う、故に我ら在り」のピアノバージョンの作曲を担当。おそらくゴーストライダーとゴーストライターを引っ掻けたジョークなのだろう。もしや仮面ライダーゴーストというタイトル自体もこの騒動由来なのでは…だが真相は定かではない。
同年12月30日に放送された「日本レコード大賞」ではゴールデンボンバーの出番にギターを弾きながらのゲスト出演を果たした。
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