概要
本名は内田雄也(読み同じ)。
元々は生徒会副会長を務めるほど真面目で、勉強熱心な子供でもあったらしい。しかし、エルヴィス・プレスリーに憧れたことでロックに目覚め、1957年に高校を中退。以降、本格的な音楽活動を始める。
以後は様々なバンドを渡り歩いたり、無名であったタイガースなどの若手スカウトを行ったりし、俳優として映画にも出演している。自身の音楽活動を行いながら、ロックフェスティバルなどのイベント開催も行っている。
ヴォーカルとしての評価は決して高いものではなく、自分でもネタにするほどヒット曲がない。
しかし、日本では日の目を見ていなかったロックにいち早く傾倒し、さまざまなイベントを企画したり、若手を発掘するなどしてその発展に大きく寄与した。
ちなみに、本人は日本語ロックには否定的で、英詞の歌やそのカヴァーを歌うことが多い。
ぶっ飛んだ行動や言動が多いものの日本の音楽シーンには少なからず影響を与えており、ハリウッド映画に出演する等交友範囲も世界的に広い。
エピソード
奇抜な言動やエピソードが多い人物でも知られる。以下、一例。
- 高橋ジョージはとあるTV番組内において「内田裕也がBARのトイレの鏡に映った自分が笑っていたので、映った自分(鏡)を殴り拳から流血していた」というエピソードを話したことがある。
- 三度の逮捕歴がある。1977年に大麻取締法違反で逮捕された際、「マリファナはアルコールより健康的」と主張した。
- 1991年の東京都知事選挙に出馬し、政見放送をアカペラで熱唱、主張は全部英語という斜め上なパフォーマンスをやってのけた。結果として政党からの推薦がない人物としては最高の得票数を獲得している(ちなみにこの時当選したのは鈴木俊一)。
- なにかと「ロックンロール」を主張し、語呂合わせで69という数字に並々ならぬ愛着を持っていた。三度目の逮捕の際には、刑務所の部屋番号が69だったことに喜んでいたという。
- 2011年の東日本大震災直後は宮城県石巻市で災害ボランティアに参加。この際にバナナ690本とミカン690個を振舞っている。個数は上記に由来。
家族
妻は女優の樹木希林。内田が不倫や事件をやらかし、それに激怒した樹木が包丁を振り回すなど過激な夫婦喧嘩が絶えず、一緒に暮らしたのは僅か一年数ヶ月だけであった。
しかし内心はお互いをリスペクトしあっていたようで、樹木は内田を「愛というより、私には内田さんが必要だった」「内田さんとは一緒の方向を見ていると感じることができる。飽きないのよ」と、意外にも高評価していた。結局生涯に亘って一度も離婚せず、40年以上にわたる夫婦生活を全うした(樹木は元々再婚である)。
ちなみに、内田は1981年に離婚届を提出するが、樹木が無効を求める民事訴訟を起こして応戦。樹木の勝訴により関係を繋ぎとめたエピソードがある。
間には長女・也哉子を儲けた。娘婿は俳優の本木雅弘。孫もモデルを勤める。
死去
2019年3月17日、肺炎のため東京都内の病院で死去。79歳没。妻・樹木希林の死から半年余りの出来事であった。
葬儀は「内田裕也Rock’n Roll葬」なる名前で営まれ、音楽界の大御所やファンら950人が参列。
喪主を務めた也哉子は、弔辞の最後に
Fuckin’Yuya Uchida(クソッタレの内田裕也)
don’t rest in peace(安らかに眠るな)
just Rock’n Roll!!(これぞロックンロールだ)
と、破天荒だった内田を象徴するかのようなセリフで締めた。
家族
妻-樹木希林
長女-内田也哉子
娘婿-本木雅弘
孫-内田雅樂
孫-内田伽羅
孫-内田玄兎