今剣(刀剣乱舞)の項も参照。
プロフィール
概要
2016年6月14日に実装された極の刀剣男士。極実装はこれで5振り目となった。
修行の手紙
強くなるために、今剣は京の都へと赴く。
懐かしい京を歩くうちに楽しくなってしまい、あたりを走り回っていたら、ある人をみつける。
それはかつての主、源義経であった。
義経の逃避行についていく今剣。
この後に起こる悲劇のことも、その歴史を守らなければいけないことも、全て理解したうえでの行動だった。せめて最期にお側に居るくらいは許されますよね、とささやかな願いを述べる。
しかし、気になることが。義経が所持している刀の中に、“今剣”がいないのだ。
自分の思い出と違うことに戸惑う今剣。一体、何が起こっているのか。
逃避行の末、義経は自刃する。大体は、今剣の知っている通りに。
しかし、違うところが一つ。義経は守り刀の今剣を所持していなかった。
“今剣”とは『義経記』に登場する刀であり、刀剣乱舞に於いては初期から「実在は不明」と紹介されてきた。『義経記』とは義経らの死後二百年以上経ってから成立した軍記物語であり、作者は当事者たちの人柄を直接的にも間接的にも知っていたとは考えられてはいない。
作中の行動のあちこちに矛盾もあり、当時の伝説と作者の創作によって成立したと考えられている。よって「史料」としての価値は低く、今の時代ではあくまで「史伝物語」として扱われている。
ぼくはしってしまいました。
ぼくは、ほんとうはそんざいしないかたなだったんですね。
でも、そんなぼくがいられるばしょがひとつだけありました。あるじさまのところです。
これからかえります。ぼくは、あるじさまだけのためのかたな。それがわかったから。
「ぼくはすこしおとなになってかえってきましたよ」
「ぼくは、かこへとんで、ほんとうのれきしをみてきた今剣」
「ぼくは、ほんとうのれきしにはいない。……すこしだけかなしいですが、これも、ぼくのれきしですよね。」
「いまのぼくは、あるじさまだけのまもりがたな。だから、あるじさまにずっとついていきます!」
性格
初期から公式紹介に「実在は不明」という記述のあった今剣であるが、修行によって衝撃の真実を知り、悲しみつつもこれも自分の歴史と受け止めたことで、少し大人になって力をつけて帰ってきた。
回想其の8における岩融の「悲しいことはあっても、その次に我らがいるからだ」という言葉を踏まえてなのかもしれない。
必殺・偵察の初期値が高いステータス構成で、必殺は60と極実装5振りのなかでは最も値が高く、機動は五虎退極と同じ142までなる。反面、生存・打撃・衝力はワースト。
レアリティが上がったことによりスロット数が2つになった。
極の短刀男士の特性で、昼戦でも遠戦を回避することがある。
新しい姿は源義経の鎧兜を思わせる。兜は烏天狗をイメージしたもののようで、よく見るとグラフィックごとに視線を動かしており、中傷ではダメージを受けた今剣と一緒に泣いている。
戦闘時には本体の刀に黒いもやのようなものが見られるが、真剣必殺では烏のような黒い翼が出ることや、畑当番で神通力に言及することから、烏天狗の力を身につけたようだ。
以前はドロップ台詞で義経公の守り刀であることを誇っていたが、修行の出来事によるため、これからは審神者だけの守り刀であると主人を守る決意を新たにしている。
人間の儚さを身に染みてか、審神者が居なくなるのを不安がったりする面もある。少し甘えてくれるようになった様子。
馬当番では自分が知る義経公を語っており、彼のなかで義経公の思い出は大切に在ることも窺える。こういった面も少し大人になったということなのだろう。