概要
1967年結成。ジャンルは歌謡曲、ムード歌謡。元々ジャズ、ラテンなど幅広いレパートリーを持つバンドであり、テレビで演奏する機会は少なかったもののコンサートでは各自のパートの楽器で独奏するコーナーが必ず存在していた。
オリジナルメンバー
内山田洋(うちやまだひろし、1936年(昭和11年)6月6日 - 2006年(平成18年)11月3日)、ギター担当。本名は内山田道生。福岡県出身。
前川清(まえかわきよし、1948年(昭和23年)8月19日 - )、ボーカル担当。長崎県出身。
宮本悦朗(みやもとえつろう、1948年(昭和23年)1月15日 - )、ピアノ・キーボード担当。長崎県出身。
小林正樹(こばやしまさき、1943年(昭和18年)1月1日 - 2024年(令和6年)2月15日)、ベース担当。長崎県出身。
岩城茂美(いわきしげみ、1942年(昭和17年)1月5日 - )、サックス・フルート担当。熊本県出身。
森本繁(もりもとしげる、1942年(昭和17年)10月23日[1] - )、ドラム担当。鹿児島県出身。
略歴
1969年2月 - 『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。当時のメンバーは内山田、岩城、小林、森本、宮本、前川。
1969年12月 - 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。第20回NHK紅白歌合戦に初出場。
1975年4月 - フジテレビ系『欽ちゃんのドンとやってみよう!』に、“コント54号”のひとりとして起用された前川とともに全員がレギュラー出演。
1987年 - 本来ポップス指向が強く演歌嫌いを公言していた前川が、自然気胸を患ったのを期に脱退。低迷状態に陥る。
1992年 - 大幅なメンバーチェンジ。宮本と小林が脱退し、大沢允、西田涼馬、山上哲也が加入。
2006年11月3日 - 内山田が肺がんのため横浜市内の病院で死去。70歳没。
2024年2月15日 - 小林が老衰のため東京都内の病院で死去。81歳没。