概要
カナブン氏が小学校時代に近所の被爆者の体験を聞くという課題が与えられ、近所の人たちに話を聞いていると祖母が被爆者であることを聞き、当時について話し始めたことが作品の基となっている。祖母は広島電鉄家政女学校に通い、授業と広島電鉄の運転・車掌業務を行っていた。また、爆心地から2.2km離れた御幸橋付近を運転中に被爆したものの軽傷で済み、8月9日の一部運転区間再開の時も運転を行い、女学校が解散した9月30日まで業務に従事している。
この話を聞いたカナブン氏は祖母から「絵がうまいから御幸橋の上で見た被爆者の絵を描いて」との嘆願もありこれを基にした漫画の執筆にとりかかるが、当時はインターネット黎明期で広島への原爆投下前後についての資料収集が難しく、一時は頓挫する。それでもカナブン氏は広島平和記念資料館に通い続けて情報を得て、祖母からも何度も話を聞いてそれらをメモに取っていた。また、2011年に漫画制作ソフトComicStudioを導入したことで執筆がはかどるようになり、2012年6月に自サイトで第1話が掲載され、2013年1月までに第8話が掲載された。なお、カナブン氏の本業は会社員で、普通の仕事をこなしながら執筆活動を行っている。
祖母から話を聞いてから完成までに15年を要し、「ネット上での無料公開なら読んでみようと思う利用者もいる」という理由で個人サイトでのみ公開されていた作品であるが、2013年には多くの人に知ってもらおうとkindleでも販売が開始、カスタマーレビューで高評価を得て同年12月には英訳版も発売された。kindleでの発売以降はTwitterなどで話題となり、個人サイト「Game&cG」でのアクセス数も急増。2014年には中国新聞からの取材を受け、2015年にはITmediaの「終戦の日に読みたいウェブコミック4選」の1つに選定されている。
さらにNHK広島放送局が作品に注目し、2015年7月25日にドキュメンタリー「被爆70年特集「孫が描いた原爆少女 〜49万アクセスを集めたネット漫画〜」を放送。同年8月には同作品を基にしたNHK広島放送局製作による単発ドラマ『戦後70年 一番電車が走った』が放送されるまでに至った(後述)。1個人のウェブ漫画がテレビドラマ化までされるのは異例中の異例ともいえる。
放送後は海外でも注目され、各国語の翻訳版が順次発売されている。
作風
当作品は他のヒロシマ漫画作品と比較してソフトに描かれている。これはカナブン氏の画風も影響していると思われるが、「祖母の体験談をテーマに置いたものであり、若い世代でも安心して見れるように」というのも挙げられる。実際中国新聞での連載・特集で戦争を知らない若い世代は「被爆者の絵は恐くて見られなかった」という意見があり、この作品は安心してみることができたという感想があった。
(例として「はだしのゲン」の作者である中沢啓治は実際本人が被曝している経験から「凄惨な表現で伝えたい」という考えで、「はだしのゲン」の漫画やアニメは凄惨な描写が多い。特に中沢の意向をそのまま表現したアニメについては80年代後半にPTAや日教組の推奨で広島をはじめ日本各地で夏休みの登校日に上映されたりしていたが、漫画よりさらに凄惨な内容によりみんなのトラウマになってしまい、以降上映は縮小されている。また、同作品のテレビドラマ化についても凄惨な表現を主張した中沢に対し「全世代が観れるものでないと放送できない」とのテレビ局の意向から目を背けない程度の描写に落ち着いている。)
一方でカナブン氏本人は「その悲惨さも伝えないと原爆が軽いものになってしまう」という考えもあり、以降の関連作品についてはやや凄惨さを増やしている。
テレビドラマ
上述の通りNHK広島放送局の制作で2015年8月10日の19:30から20:43に全国ネットで放送された。視聴率は6.2%。
脚本家の岸善幸によってテレビドラマに合わせた内容となっており、豊子が広島電鉄家政女学校入学時から訓練・車掌業務を行っている部分が大幅カットされた代わりにテレビドラマオリジナルの電気課長を中心としたやり取りや復旧の描写が追加され、カナブン氏の身内以外の実名表記を避けるため、登場人物の省略や名前の変更が行われている。一方で「軍曹から告白を受ける」「路面電車運転中に被爆」「3日後の運転再開時に軽傷だった豊子が運転士として従事」などの部分は概ね原作通りとなっている。
登場人物
漫画
- 雨田 豊子(あめだ とよこ)
広島電鉄家政女学校の第1期生。作者であるカナブン氏の祖母。テレビドラマでは黒島結菜が演じている。尋常小学校卒業後先生の勧めで家政女学校に入学。御幸橋付近で路面電車を運転中に被爆するも軽傷で済み、3日後の天満町(現在の西天満町)-己斐(現在は西広島)間の運転再開時も運転を行っている。9月30日の家政女学校解散後は郷里の三次へ戻る。
実在人物で現在は児玉姓となっており、ドキュメンタリーでも87歳になった本人が出演している。
その後2024年1月に95歳で亡くなったことが、カナブン氏のブログで公表された。
- 小西 幸子(こにし さちこ)
広島電鉄家政女学校の第2期生、豊子の従姉妹。テレビドラマでは清水くるみが演じている。
豊子の1年後に入学。体調不良で寮で休んでいる時に被爆し、背中に大量のガラスが突き刺さる。14日に母親が訪れ、治療のため三次へ戻り以降は描かれていないが、派生作品の「ヒロシマを生きた少女の話」にて続きが描かれている。
こちらも実在人物で現在は増野姓となっており、ドキュメンタリーでも85歳になった本人が出演している。
- 松永 弘笑(まつなが ひろえ)
広島電鉄家政女学校の第1期生。母親が舟入の病院に勤務していたが、被爆により失う。漫画版のみの出演。
- 山崎 与一郎(やまざき よいちろう)
家政女学校の交通科担当。豊子らに停留所の名前・位置や車掌業務について厳しく指導する。テレビドラマでは高村 光次郎(たかむら こうじろう)と改名のうえモロ師岡が演じている。
- 雨田 よし江(あめだ よしえ)
豊子の幼馴染。8月6日に満州にいる恋人のもとへ向かうため広島を訪れ、豊子の運転する電車に乗り宇品へ向かう途中で被曝。豊子と別れて郷里へ帰るも原爆症で同年中に死亡。漫画版のみの出演。
- 佐藤軍曹(さとうぐんそう)
豊子の運転する電車に乗る内に、豊子に惹かれ写真撮影に誘う。テレビドラマでは森永 勘太郎(もりなが かんたろう)と改名のうえ中村蒼が演じている。
テレビドラマオリジナル
テレビドラマは豊子以外にも広島電鉄の復旧にも争点が置かれ、それに関わった人物が登場する。
- 松浦 明孝(まつうら あきたか)
広島電鉄電気課課長、阿部寛が演じている。役所からの異動組で、被曝前は物資の調達や変電所の疎開などを担当している。被爆後は路線再開のため変電所復旧に従事する。
- 安永 正一(やすなが しょういち)
広島電鉄変電所勤務、新井浩文が演じている。被曝前は人手不足を理由に松浦と衝突。被曝により妻子を亡くすも松浦の嘆願により変電所復旧に従事する。
余談
1993年8月6日にNHKスペシャルでアニメ「ヒロシマに一番電車が走った~300通の被爆体験手記から~」が放送されており、広島電鉄家政女学校の生徒が車掌業務を行なったり、被爆後の惨状を経て一番列車が走る内容など本作と非常に酷似している。
但しこちらはNHKの広島放送局が「被爆後の焼け跡で、広島の人々はどう生きたのか」との呼びかけに対して300通の手記が寄せられたものを参考にしたことから、原爆に遭った少女の話との関係性は一切ない。また、原爆に遭った少女の話では実際に祖母の実体験をもとに作成したのに対し、NHKスペシャル側は手記を基に作成したため女学生は運転を行なわず一貫して男性社員が運転を行なっているなどの相違がある。