概要
1608(慶長13)年年に寺沢広高が築いた城である。
唐津湾に面する満島山に建てられ、海城とも呼ばれている。
城自体は廃城となった名護屋城の遺構を流用しているが、幕府への配慮からか天守閣は建てられていない。
現在の天守閣は1966(昭和41)年に建てられた模擬天守である。
天守閣内は郷土資料館となっており、展示品の中には、明智光秀に仕えて「明智三羽烏」の一員となった安田作兵衛(天野源右衛門)が、本能寺の変の際に使用した槍が「織田信長を刺した槍」として展示されている。
これは作兵衛が山崎の戦い後、森長可、羽柴秀長、蒲生氏郷、立花宗茂と主家を替えた末、唐津城を築城した寺沢広高に仕官し、唐津で生涯を終えた為、彼の遺品の槍も唐津に伝わることになった。
関連タグ
水野忠邦-唐津城主だったが、西国大名監視の重責上、