概要
1928年4月1日〜2007年5月17日 東京府東京市牛込区中里町(現:東京都新宿区中里町)出身。
本名ならびに旧芸名は「塩沢登代路」。本名の由来は父親が務めていた伊那電気鉄道(現:JR飯田線)の川路駅と、伊那電気鉄道が開通済みの他社線と接続して運行する構想だった豊橋駅から。実際に両社を接続する三信鉄道の工事が始まったのは1929年だった。
1947年、疎開先の長野県で就職活動を得て東宝ニューフェイス第2期に合格。同期に越後憲、杉葉子らがいる。1950年に『女三四郎』の端役として映画初出演。
1961年に坂本九主演の『アワモリ君売出す』で女性に男を悩殺する仕草を教える講師のコミカルな演技が評価され、3枚目の脇役女優として数え切れぬ多くの映画・ドラマに出演。
生涯独身に関わらず恋多き淑女でもあり、「多いときはお相手が15人もいました」と語ったこともある。
1969年に放送開始された『ケンちゃんシリーズ』の全般に渡り、強烈な教育ママ役で数多くに出演。
1972年、ドラマ『愛の戦士レインボーマン』の魔女・イグアナ役の怪演で演技の幅を広げ、より一層個性的な女優となる
1980年代を過ぎると奇抜などデカい髪型に「男性のものを頂く」など際どい話でお茶の間の人気者となる。
著書で「生涯一度も主役になったことがなかった」と記したこともあったが、実際には1954年に『うれし恥かし看板娘』で生涯唯一の主演を務めている。
生涯に4度ものガンを煩い、30歳で舌、57歳で右乳房、76歳で左乳房、晩年の最後は78歳でスキルス胃がんだった。当人も「ガンと共生する」をモットーとしていた。
2007年、ガンにより帰らぬ人となる。享年79歳。生前に建てた墓石には本名ではなく芸名が刻まれており、墓石の隣には「とき観音」が建てられている。
余談
東宝で共演も多かった平田昭彦は小学校の同級生だった。
奇抜な大きい髪型は、発砲スチロールを芯にして作り上げた髪型であった。このカツラのひとつは末成由美に進呈したという。
ちなみに女優としてはガンにより失われるまで巨乳であった事でも有名だった。右胸の手術後に『今夜は最高!』に出演した際、タモリの前で「こういうことができなくなる前に」と残る左胸をポロリしたこともある。