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小山持政

おやまもちまさ

小山持政とは下野の戦国大名小山氏第14代当主。没落していた小山氏の復興を果たし、小山氏を当時強大な力を持っていた関東管領上杉氏に睨みをきかせるほどにまで成長させた。古河公方足利成氏から「義兄弟の契り」を交わすほど信頼されており、東国における戦国時代の始まりのきっかけとされている享徳の乱では、古河公方勢力の中核を担っていた。

概要

小山持政(生没年不詳)は室町時代中期から戦国時代初期にかけて活躍した武将で、小山氏第14代当主。小山氏は下野国の小山に拠点に置く名族であり、過去に争乱に巻き込まれ断絶したが、同族である結城氏から小山泰朝を養子としてもらい、小山氏は再興された。持政は小山泰朝の子(他の説もあり)である。
父の代では結城氏とともに行動することが多かったが、持政の代からは結城氏とともに行動することは少なくなり、永享の乱では結城氏が鎌倉公方側についたのに対し、持政は幕府側について戦った。結城合戦でも幕府側として結城氏らと戦い多くの功を挙げ、合戦後に下野守に補任され、さらに1441年には下野守護に補任され、小山氏の乱で滅亡する前のかつての小山氏の権威を取戻すことに成功した。

鎌倉公方が滅亡した後は関東管領上杉氏の力が強大化したため、関東の諸将は鎌倉公方の再興を願い、やがて鎌倉公方足利持氏の遺児である足利成氏が赦免され、新たな鎌倉公方となる。その後1454年に成氏が家臣に関東管領上杉憲忠を殺害させたために、享徳の乱が勃発。東国における戦国の世が到来した。享徳の乱で持政は一貫して足利成氏を支持し、上杉氏側である宇都宮氏宇都宮等綱などと戦って功を挙げている。成氏側として目覚ましい活躍を見せ、成氏と『義兄弟の契り』を交わし、より親密な関係を築いていくことに成功している。

1455年、幕府軍の今川範忠勢に鎌倉を制圧されたことによって鎌倉を失った成氏は、持政の影響力が強く及ぼしている古河に拠点を移して古河公方を称するようになる。また、当時の小山氏は上杉氏に匹敵するほどの勢力を持っており、幕府から派遣された足利政知の鎌倉入りをさせずに堀越に留まらせることに成功している。

持政は嫡子である小山氏郷と嫡孫を病気で失っていたため、老齢の身でありながらも当主であり続け、生涯上杉軍と戦い続けることになる。持政は1470年代に没したとされ、一門である山川氏から小山成長が持政の跡を継いだ。

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