概要
京の都の北西部にあった辻で、現在の「帷子ノ辻」付近であるといわれる。
この辻は平安時代初期の、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子の遺言により、その亡骸が打ち捨てられた場所であると伝わっている。
何故そのようなことが行われたかというと、このような伝説がある。
皇后・橘嘉智子は仏教への信仰心が強く、檀林寺の建立を行ったことから「檀林皇后」と呼ばれ、貴族の子弟の学校である学館院を設けるなどの功績も知られている人物であった。
そればかりか、とても素晴らしい美貌の持ち主であったとも伝わっており、修行中の若い僧までもが心動かされるなど日常茶飯事であったのだという。
そのような状況に心痛めた皇后は、自らの死後に諸行無常を人々に知らしめ、菩提心を呼び起こさせるために「亡骸は辻に打ち捨てよ」と遺言を残したのである。
生前は美貌であっても、亡骸は徐々に腐り、野犬やカラスに食い散らかされ、最後は白骨となって朽ち果てていく「無常」を知らしめたのであった。
その様子を見た京の人々は、皇后が身をもって知らしめた「無常」を心にとどめ、僧たちも妄執を捨て修行に打ち込むようになる。
そして皇后が打ち捨てられた辻は、「帷子辻」と呼ばれるようになった。(一説には皇后の死装束・経帷子から名づけられたという)
その後、どのような美しく高貴な人物であっても、死後は朽ち果てる様子を描いた仏教絵画『九相図』で橘嘉智子は小野小町とともにモチーフとされている。
創作での扱い
江戸時代に書かれた『絵本百物語』などの怪談集では、その辻では禽獣に啄まれ朽ち果てていく亡骸の幻影が見えるという怪談として語られているのだという。
京極夏彦による江戸時代末期を舞台にした、様々な問題を妖怪譚に準えて解決する小悪党達を描いた時代小説。