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概要編集

かつて「アル=アンダルス」と呼ばれたイベリア半島に興ったイスラム国家ウマイヤ朝の再興であったため「後ウマイヤ朝」の名がある。コルドバを首都とし、現在のスペイン南部とポルトガルの大部分に当たる場所を領土としていた。当時の史料ではアンダルスのウマイヤ朝、コルドバのウマイヤ朝などと呼ばれた。


君主称号は当初「アミール」を用いた。929年から1031年まで「カリフ」を使用したことから、コルドバ・カリフ国の名もある。


沿革編集

ウマイヤ朝アッバース朝により750年に滅ぼされる。ウマイヤ家の生き残りの王族「アブド・アッラフマーン1世」がアンダルスに逃れ、ウマイヤ朝の再興王朝として756年に建国した。


10世紀後半に宰相ムスハフィーとマンスールの下最盛期を迎えたが、11世紀に入るとマンスールの後継者争いで内紛が勃発。これに乗じたキリスト教勢力の国土回復運動(レコンキスタ)により急速に領域を狭め、1031年に最後のカリフ「ヒシャーム3世」は廃位となり、滅亡した。


関連タグ編集

スペイン ポルトガル イスラム教 スペイン史 中世ヨーロッパ 国土回復運動

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