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愛知機械工業

あいちきかいこうぎょう

愛知機械工業は日産自動車傘下の部品製造子会社である。かつては独立した自動車メーカーであった。

概要編集

この会社の前身は瑞雲九九式艦上爆撃機などの飛行機を製造した愛知航空機である。1943年に戦争による航空機量産のために愛知時計電機(1893年設立)から分離された愛知航空機は戦後航空機産業の解体によって愛知起業会社と名称を変更した。


当初は印刷業などで糊口を凌いでいたが、1946年に当時下請け会社であった帝国精機産業(後の帝国製鋲)から三輪トラックジャイアント(元々は日本初の軽自動車を作った日本オートサンダル自動車の前身、ヂャイアントナカノモーターの製品)の製造権を譲り受けて自動車メーカーとなった。


この自動車業界参入の背景には、1932年に愛知時計電機が愛知を自動車産業の中心地にしようという「中京デトロイト化構想」に賛同し、豊田自動織機(そこの自動車事業部が企業として独立したのがトヨタ自動車)などと共に「アツタ号」を試作したという歴史がある。この時の構想は、当時の情勢のために失敗したものの、平和な社会になるとともに当時参加したトヨタや愛知起業にはこの構想を独自にもう一度という機運があった。


引継ぎ後ジャイアント号は幌型乗用車、セダン、トラクター、果てはトレーラーや消防車と様々な派生車種が作られた。この間、企業再建整備法によって1949年に第二会社新愛知起業が設立され再出発し、1952年に現在まで続く愛知機械工業と名称を改めた。


1959年、4輪への転換としてヂャイアント・コニー360が登場、この時は3輪と4輪のトラックとバンが発売された。また、エンジンは軽自動車ながらフロア下に水平対向エンジンを採用。このフロア下の水平対向エンジン軽自動車は長らくの独自の伝統となった。

1961年には2人乗りピックアップトラックコニー・グッピーが登場。この時完全に4輪のみとなり、ブランドもそれまでのジャイアントからその派生であったコニーに改められた。販売店も同様にジャイアント店からコニー店に改められた。しかし、そこまでの自信をもって売り出したコニー・グッピーは馬力不足に悩まされ経営に打撃を与えた。一方、少し遅れて発売された、それまでと同じ大きさのコニー360・コニー360コーチVは当初は売れた。それでもセダン型のコニー360コーチはグッピーの余波もあり発売できなかった。

コニーグッピースポーツ


1967年、ホンダTN360を発売すると一気に苦境に陥った。

1965年には既にスバル・サンバー登場などもあり、さらなる競争激化を見越してさらなる改良を加えたコニー・360ワイドを発売していたが全く太刀打ちが出来ず、1969年に日産の傘下に入りコニー店では日産車も発売され始めた。1971年にはついにコニー販売を打ち切り下請けに転身した。コニー店はチェリー店と名を改めた。



その後日産の車両生産を委託され、サニートラック/キャブやバネットシリーズを生産していた。

1991年、バネットの派生車種としてのバネットセレナの設計とその生産を担当。久々の独自開発車が誕生した。後にセレナと名を改め現在まで発売されている。

しかし、2001年親会社の経営悪化に伴う合理化で完成車製造から撤退。現在は小型車用エンジンやトランスミッションなどを製造している。


2016年、三菱自動車を傘下に入れた日産は2018年度に登場予定の軽自動車製造に関してエンジン製造などで愛知機械工業を参加させることを決定。(出典)愛知機械工業は久々に軽自動車にかかわることになる。そして2019年に実際に登場した新型デイズは「ミニセレナ」と言うべきものとなり(参照)、事実上コニーの系譜が復活する結果となった。


外部リンク編集

愛知機械工業公式サイト

コニー復元クラブ

日産チェリー岩手販売 - 単一法人として唯一現存するチェリー店統括販売会社

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