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日本将棋連盟

にほんしょうぎれんめい

日本将棋連盟とは、将棋の普及・啓発を目的とした公益社団法人。 将棋の大会を開催したり、プロ棋士による棋戦を主催するなどの活動を行っている。
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概要編集

日本将棋連盟とは、将棋の普及発展を目的とした社団法人。

将棋プロ棋士を任命したり、管理したりするなど、将棋界における最高権威とも言える機関。特にpixivでは奨励会の上部組織と言った方が有名かもしれない。


活動目的編集

日本将棋連盟の定款によると、本連盟は、将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与することを目的とする。と、ある。

一般的に見た場合、主にプロ棋士の育成とその棋戦の開催をしている組織、となるだろうか。


活動拠点編集

将棋連盟の本部となる建物を将棋会館と呼び、東京都渋谷区千駄ヶ谷に置かれた日本将棋連盟東京本部と、大阪府高槻市に置かれた日本将棋連盟関西本部が主な中心組織となる。


事業内容編集

・全国の報道機関(新聞・雑誌・テレビなど)と契約し、対局棋譜を提供。棋譜に解説・講評などを附して普及に役立てる。

・月刊雑誌を刊行し、随時に棋譜を刊行する。

・大会・講習会などを随時に開催し、随所に支部・教室などを設置する。

・全国に指導者を育成して、普及・指導を図る。

・国際的な対局を行い、または国際大会を支援する。

・将棋会館を建設して、将棋道の発展を図る。

・棋士を各地に派遣して、普及・指導に当たらせる。

・各種文化団体と提携して、文化運動の推進を図る。

・その他、日本将棋連盟の目的を達成するために必要と認めた事業を随時行う。


この他にも棋士会、奨励会、研修会と言った幾つかの下部組織を持ち、将棋のイベントやプロの育成と言った事業を行っている。


歴史編集

プロ棋士という名称だけ聞くと、近代になって始まった職業のように思われるが、元々、職業としての「棋士」は江戸時代の頃には既に確立した職業だった。

職業としての将棋の棋士の源流は、江戸時代に始まった「家元制度」であり、徳川幕府の庇護の元、初代家元である大橋宗桂以来、大橋家・大橋分家・伊藤家の三家より世襲の名人が出ることになり、この制度は江戸時代の約260年間続くことになる。

しかし明治維新すなわち江戸幕府崩壊により家元制度は有名無実のものとなり、家元の三家次々に後継者を失くし、1893年、11世名人伊藤宗印を最後に家元制度は終焉を告げる。こうして後ろ盾を失って危機に陥った将棋界であったが、新聞社が新たなパトロンとなることで復興していった。

13世名人を襲位した関根金次郎が1935年にそれまでの終生就位であった名人位を実カによる短期名人制へと移行する決断を下す。これにより1924年9月8日に東京の棋士が団結し、名誉会長に関根金次郎、会長に土居市太郎が就任して、「東京将棋連盟」を結成する。

1927年に関西の棋士も合流したことで「日本将棋連盟」となるが、1936年には日本将棋連盟以外の将棋団体と合併したことで「将棋大成会」と改称する。

そして戦後の1947年、 再び名称を「日本将棋連盟」として、会長に木村義雄が就任。

1949年7月29日に社団法人化し、2011年4月1日に公益社団法人となる。

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