ピクシブ百科事典

本因坊秀策

ほういんぼうしゅうさく

幕末に活躍し、囲碁における、近代の布石の基礎を築いた天才棋士。
目次[非表示]

概要

文政12年5月5日(1829年6月6日)- 文久2年8月10日(1862年9月3日)

幕末に活躍し、囲碁における、近代の布石の基礎を築いた天才棋士。
文政12年、父桑原輪三と母カメの次男として尾道市因島外浦町に生まれる。幼名虎次郎。
3・4歳の頃は、碁石を与えればすぐに泣き止んだといわれる。

ヒカルの碁でも藤原佐為と囲碁を打ったことがあるという設定で登場しており、囲碁を打てる人での知名度は非常に高い。

「御城碁十九連勝」や「耳赤の一手」、「秀策流」等数々の伝説を築き上げ、現在でも歴史上最強棋士の一人に挙げられる。おまけに人格も優れており、後の囲碁界に与えた影響は多大となった。
惜しむらくは、幕末に流行ったコレラから仲間の棋士を看病しようとした所、自らも感染し、若き生涯を終えてしまったことか。しかし、秀策の看病により、本因坊家ではコレラによる犠牲者は秀策以外は1人も出ずに済んでおり、これもまた偉大だった。


その後

秀作没後、当主である秀和が本因坊となったが、日本の碁会は悲劇的なものとなった。
幕末の激動で御城碁は無くなり、家禄(幕府から囲碁を奨励するための資金)を打ち切られ、戦乱で住居や仲間を失った。
おかげで当時の棋士たちは売れるもの全てを売り、それでも生活できずにあばらやで雨露をしのぐ程困窮する事となった。

しかし、どれ程辛い未来が待っていようと、先人達の打ち続けた棋譜、思いは生き続ける。
明治6年(1873年7月2日)に秀和が死去し、秀悦が新たな本因坊となって江戸時代の囲碁歴史は終わり、それが現在に続く日本棋院となったのである。


関連タグ

囲碁 ヒカルの碁 藤原佐為

関連記事

親記事

江戸時代 えどじだい

兄弟記事

pixivに投稿された作品 pixivで「本因坊秀策」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1314

コメント