概要
1944年1月13日生まれ。
1962年に大洋ホエールズへ捕手として入団。1963年から内野手を兼ねる。
1965年には中堅手に回った近藤和彦の後継として一塁手の定位置を獲得し、75試合に先発出場。
1966年には初の規定打席に達し、リーグ9位の打率.294と活躍。同年から1972年までオールスター7年連続出場を果たす。
1967年にはディック・スチュアートが入団したため、シーズン前半は外野手に回り、6月からは三塁手を兼ねて桑田武と併用される。
1968年には桑田が監督の別当薫との軋轢もあってレギュラーから外され、結果として三塁手に定着。1971年に一塁手へ再転向。
1977年には自己最高の34本塁打。
1979年8月12日の巨人戦(後楽園)で5回裏に基満男に代わって一塁に入り、史上14人目の2000試合出場を達成。
1980年4月23日の阪神戦(横浜)で1回裏に長谷川勉から左越3ラン本塁打を打ち、史上12人目の通算2000安打を達成。
1981年に古賀正明との交換トレードで巨人へ移籍。同年引退。
引退後はコーチや解説者として活躍した。
コーチ歴
横浜大洋ホエールズ (1982 - 1984)
読売ジャイアンツ (1985 - 1991)
広島東洋カープ (2001 - 2003)
横浜ベイスターズ (2004)