解説
本名は桜井千里。
1926年3月20日、ロンドンで生まれる。
外交官の父がイギリスかぶれであったため、ヘンリーと命名される。その地で3歳まで過ごす。
3歳の時に帰国。この頃、ヘンリーから千里に改名。
早稲田大学を中退、ジャズピアニストになる。当時、ピアノの腕は日本一で、ジャズマンの平均月収が4万円に対して桜井は18万円という高給取りだった。
1954年、フランキー堺とシティー・スリッカーズに参加。この時植木等と谷啓に出会う。
1955年、三木鶏郎の冗談工房に加入する。当時の芸名は三木雛郎で、後のヒナ子さんはこの名前から由来。
1960年、結核で療養中であった石橋エータローの代理としてハナ肇とクレージーキャッツに参加。
最年長であったため、年齢をごまかして1930年生まれとされた。これはクレージーキャッツの他のメンバーとバランスを取るためとされる。
翌年、石橋エータローが復帰したが、そのまま残留したため、クレージーキャッツは1971年に石橋が脱退するまでピアノが2人という異様なスタイルを取る。
キンチョールのCMや女形のヒナ子さん、センリばあさんが人気を博した。
また、役者としても活躍しており、山田洋次監督作品にはしばしば出演していた。
1967年に結婚したが、翌年離婚。
2012年11月10日、自宅で死去。享年86
余談だが、生年月日はゲルトルート・バルクホルンと同じである。
関連タグ
シンディ桜井:彼女の苗字の由来は桜井センリから