生涯
コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ:クレージーキャッツ」のリーダーで
ドラムスを担当していた。
芸名は、興奮すると鼻の穴が大きくなることから。
「クレージーキャッツ」の前身バンドである「ハナ肇とキューバン・キャッツ」の頃から、強力なリーダーシップを発揮し、メンバーを統率していた。
コメディアンとしても「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」での「アッと驚く為五郎」と「シャボン玉ホリデー」、そして「銅像コント」で知られている。
また俳優やタレントとしても活動し、1940年代後半から1990年代前半まで活躍。松竹で若き山田洋次の才能を見出し、コンビを組んで「馬鹿シリーズ」などを作り上げた。
晩年は独自にバンド活動を再開したりもしていた。
1993年9月10日死去。彼の亡き後は、実質的に「クレージーキャッツとしての活動」は出来なくなってしまうことになり、植木等が一時的に「解散宣言」をしてしまうほどであった。
実は、志村けん以外のザ・ドリフターズのメンバーの芸名の名付け親でもある。
「銅像」について
上記の銅像コントとは、
フジテレビの恒例正月番組であった「新春かくし芸大会」での名物コントのこと。
ハナ肇が「偉い人の銅像(だいたいは学校の校長や理事長)」に扮し、若手や後輩の芸能人たちに、ケーキやらパイやらあと他にも様々なイタズラをされるが、悲しいかな「銅像」なので動く事が出来ない、というお約束の内容となっていた。
「芸能界の大先輩が後輩にとことんいじられる」という内容もさることながら、台座から上の、顔から髪から衣装まで「銅色」に塗りたくられたその姿のインパクトもあいまって、長年、お茶の間の爆笑を誘っていた。
というわけで、一定の年齢以上の人々の中には、ハナ肇とは「銅像の人」といった方がしっくりくる人も多い。
そしてそのためか、pixiv内で「ハナ肇」と検索して出てくるイラストの中には、ハナ肇ばかりかクレージーキャッツのメンバーすら描かれていないのに、「銅像ネタ繋がり」としてタグ付けをされているものがある。
たしかに河原美代子とハナ肇は似ている…?