解説
「クレージー映画」とは、コミックバンド「クレージーキャッツ」もしくはそのメンバーのひとりである植木等が主役となった、東宝と渡辺プロダクションの共同により制作された喜劇映画の総称である。
1962年7月に公開された「ニッポン無責任時代」から1971年に至るまで全30作品が制作された。
シリーズは大きく分けて「無責任シリーズ」、「日本一シリーズ」、「クレージー作戦シリーズ」、「クレージー時代劇」の四つに分類される。
東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン|講談社/Twitterのツイートより
なお大映・松竹・東映の3社でも「クレージーキャッツ」主演の喜劇映画は制作されているが、それらはシリーズには含まれない。
また、東宝制作・クレージーキャッツのメンバー主演作品でもシリーズに含まれない作品もある。
シリーズ前史
1961年にクレージーキャッツが発表した『スーダラ節』の大ヒットを受けて、当時の五大映画会社(東宝・大映・東映・松竹・日活)はそれぞれクレージーキャッツの主演映画の企画を立ち上げた。
その中で真っ先に実現したのは大映で、『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ(1962年・弓削太郎監督)』と『サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ(1962年・枝川弘監督)』の2作品を公開したが、いずれも軽快な主題歌に反してサラリーマンの悲哀を前面に押し出したスタイルであり、主演はそれぞれ川口浩と川崎敬三だった(クレージーキャッツは会社の同僚・上司役で出演)。
クレージーキャッツの「歌って踊って演技もできる」という魅力を存分に引き出すにはすでに「社長シリーズ」など会社を舞台にした喜劇映画を多数制作していた東宝に分があると判断した渡辺プロダクションの渡辺晋社長は、クレージーキャッツの主演映画の企画を持ち掛ける。
こうして『ニッポン無責任時代』の制作に至り、長きにわたるクレージー映画のシリーズへと発展していったのである。
シリーズ解説
無責任シリーズ
「クレージーキャッツ」のメンバー「植木等」の主演シリーズ。監督は古澤憲吾。
「正体不明の無責任男」が、会社の中でとんとん拍子に出世していく物語。
第1作の「ニッポン無責任時代」がシリーズでも一番有名な作品となっており、まさにシリーズの代名詞ともなっているほどに有名なシリーズであるのだが、「マジメな人間こそ幸せになって欲しい」という藤本真澄プロデューサーの意向により第2作「ニッポン無責任野郎」の二作品のみで打ち切られている。
日本一シリーズ
「無責任シリーズ」の事実上の続編シリーズ。監督も同じく古澤憲吾。
植木以外のメンバーは最低1人出演するが、全員揃う作品は少ない。
藤本プロデューサーの意向により植木等が演じる主人公は一見無責任に見えるが実際は有言実行型のモーレツサラリーマンとなっている。
シリーズが長期化したため作風もバラエティに富んでいる。
植木が演じる主人公の名前も初期は「無責任シリーズ」を踏襲して「○○等」という名前だったが、監督が須川栄三に交代した第6作「日本一の裏切り男」以降は「日本一」になぞらえたネーミングに変更された。
クレージー作戦シリーズ
メンバー全員が出演し、7人が協力して様々な困難を切り抜ける。メイン監督は坪島孝。
最終作である第14作「だまされて貰います」のみ「クレージーキャッツ」を脱退していた石橋エータローが出演していない。
クレージー時代劇
「太閤記」や「次郎長物語」がモチーフとなっている時代劇もの。
次郎長物語をモチーフにした「クレージーの無責任清水港」と「クレージーの殴り込み清水港」は数あるクレージー映画では唯一ストーリーが連続している2作である。
これらの他にも、傍系作品扱いとなっているものが4作品存在する。
公開年月 | タイトル | 監督 | 主人公の名前(配役) |
---|---|---|---|
1968年8月 | 空想天国 | 松森健 | 田丸圭太郎(谷啓) |
1969年9月 | 奇々怪々俺は誰だ?! | 坪島孝 | 鈴木太郎(谷啓) |
1970年6月 | 喜劇負けてたまるか! | 坪島孝 | 寺川友三(谷啓) |
1972年10月 | 喜劇泥棒大家族天下を取る | 坪島孝 | 猪狩時之助(植木等) |
このうち「喜劇 負けてたまるか!」は「日本一のヤクザ男」の同時上映だった。