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残りの人生よりキスを選んだ恋物語

けいてぃとだるとんのらぶすとーりー

お互い嚢胞性線維症という難病と闘ったケイティとダルトン夫妻の純愛実話。
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残り40年の人生よりキスを選んだ恋物語



概要

嚢胞性線維症(CF症)(のうほうせいせんいしょう、Cystic
Fibrosis)」は白人に多く見られる遺伝性疾患の一種。

生まれて間もない頃から、気管支消化管膵管などが粘り気の強い分泌液で詰まりやすくなり多様な症状を表す病気(その他詳細は嚢胞性線維症へ)。


お互いこの難病と闘っていたケイティとダルトン夫妻
2009年。Facebookを通じて知り合い意気投合した二人は、初めて直接顔を合わせてから数年後、20歳の若さで結婚
結婚後の生活はこの上なく美しいもので、夫婦は嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)という遺伝性の重い病気に立ち向かいながら暮らしていたが…。































ケイティとダルトンのラブストーリー


嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)の根本的な治療法はなく患者の寿命は長くておよそ40年とも言われている。

二人の出会い

ケイティとダルトンは2009年、18歳の時にFacebookを通じて知り合った。

嚢胞性線維症(CF症)(のうほうせいせんいしょう、Cystic
Fibrosis)」
生まれて間もない頃から、気管支消化管膵管などが粘り気の強い分泌液で詰まりやすくなり多様な症状を表す遺伝性の難病
中でも呼吸器では、粘性の高い分泌液が気管支に詰まり細菌が体外へ出づらく、増殖しやすいため気管支炎などの感染症を繰り返す。

白人に多く見られ約3300人に1人の割合で発症するというデータがある。日本人の症例は非常に少ない。

症状が進むと肺や肝臓など内臓に障害をきたし、患者の寿命は長くておよそ40年とも言われている。


ケイティの場合、幼い頃から気管支の感染症による咳と痰の症状に苦しめられていた。 毎日大量の薬を飲み、気道を広げ、痰をとる薬剤や抗生物質の吸引治療を行なっていた。

普段は明るく活発な彼女だったが、年に2、3回は感染症が悪化。
入院して治療を受ける日々を送っていた。

治療を受ける度に感じる"自分は健康ではない"という事実。

もし誰かを好きになっても、こんな自分を受け入れてくれなかったら...

そう思うと、 彼女は友人達のように恋愛へ積極的にはなれずにいた。

そんな頃、ケイティが偶然ある記事を見つけた。
そこには自分と同じ年月を同じ病気で苦しんできた男の子の闘病記が書いてあった。その投稿は彼の母親からのものだったが、入退院を繰り返すダルトンは、荒れていて生きる意味を見失っているようだった。

もしかすると同じ病気の自分なら、相談に乗れるんじゃないか?

そして二人のメッセージのやり取りが始まった。
そうして、同じ難病を抱える二人がに落ちるまでに時間はかからなかった。































ある時、ダルトンは病状が回復し退院したらケイティと会う約束をした。ケイティは嬉しそうに彼と会う事を医師に話した。その話を聞いた医師の顔が曇る。

それは彼に絶対に会ってはならない事情があったからだった。

ダルトンはある細菌に感染していたのだった…。

その細菌は健康な人にとっては、なんの問題もないモノだった。しかし、嚢胞性線維症の患者は、この細菌により肺感染症を起こしやすく、ほとんどの抗生物質が効かないという事だった。

更にこの細菌は触れただけで、うつる可能性がある。
つまり2人が出会って、例えば...もしキスをしたら…。
それだけでケイティは感染してしまう。
そうなったら彼女の命は5年と持たないという。

ケイティはその言葉に衝撃を受けた。


生まれて初めて好きになった人。
でもその人に会うことも触れることもできない非常な現実。


その事実はダルトンにも告げられた。彼も思い悩み、会うか会わないかの判断をケイティにゆだね、彼女の返事は…。

平凡で幸せな20年を過ごすより、本当に幸せな5年を過ごして死んでいきたい

ケイティはダルトンとたとえ短くても共に歩むという人生を決めた。彼女は誕生日のプレゼントとして、彼に会うことを強く望んた。


そして、ダルトンは母親にお願いし、車で6時間かけてケイティに会いに行き…。

























初めて会った二人は、言葉を交わす間もなくー
ハグをしキスをした…


そしてケイティは、医師の懸念していた細菌に感染してしまう…。


結婚生活


出会って2年後の2011年、20歳のとき二人は結婚
病気にとらわれる生活をしたくなかった夫婦は、を買い、旅行に出かける新婚生活


二人とも病気のせいで制限された人生を送りたくなかったのだ。

お互いがお互いの世話をし、懸命に生き続けた。



肺移植

2014年、病状が悪化した夫婦は肺移植を受けなくては生きていけない状態になっていた。


少しでも二人で過ごす時間が長くなるように、と。


2014年11月にダルトンが肺移植を受け、移植自体は成功したもののリンパ腫肺炎などに襲われ、つらい治療の日々が続いた…。

ケイティも肺移植を待っていたが、ドナーは見つからず彼女の容体は重くなっていった。


ダルトンは妻のドナーを見つけるため、移植資金を集めるためにメディアやネットへよびかけた。
夫は自分の体調もままならないにも関わらず、妻のためなら、誰に何と言われようとかまわない、できる事ならなんでもする、と活動を行った。





























そして2015年7月、ケイティも肺移植を受けたが拒絶反応を起こし、その肺は機能しなかった…。


ダルトンとケイティの最後の願い

移植以来、二人は家族の介護なくして闘病できなくなったため、やむなくそれぞれの実家近くの病院へ移ることになった。

夫婦は2016年7月16日の5回目の結婚記念日以来、顔を合わせていなかった…。


そして、ダルトンの病状も日に日に悪化していき、自分の残りの人生があとわずかだと悟ったダルトンは…

もう一度だけケイティに会いたい

と願う。

しかし彼を蝕むウイルスは感染力が強く、ケイティと会えば、彼女の命が危ないと医師は許可を下りなかった。


夫は医師の判断に納得し諦めたが、妻は諦めなかった。

最初に二人が会った時と同じように、ケイティは自分の命が短くなろうとも、ダルトンと会うことを望んだのだった。


そして、ケイティはダルトンを自宅に招待する事にしたが、すでに二人の容態はさらに悪化し、年を越せるかどうかもわからない状態だった。


二人の家族は『クリスマスを一緒に祝いたい』という夫・ダルトンと妻・ケイティの願いをかなえるべくクリスマス休暇を繰り上げ、旅の準備を進めた。


夫婦はビデオコールを通じで、お互い会える日を心待ちにしていた。


2016年9月。
医療チームの手はずも整い、あとは飛行機が飛ぶだけ。しかし、天候が一向に回復せず、ダルトンは人工呼吸器を付けるまでに病状が悪化してしまい…


そして…































飛行機が飛ぶことなくダルトンは息を引き取った。
夫・ダルトンは息を引き取る直前まで妻・ケイティとビデオコールで会話し…


ケイティはダルトンに最後まで愛の言葉を伝え続けたそうだ…


ケイティはダルトンの死の前日、CNNの取材に応じていた。


ダルトンと過ごした日々は、私の人生で最高の日々だわ。
私は孤独な20年よりも、ダルトンと愛し合えて、本当に本当に幸せな5年間を過ごすことができたわ。


そして、ダルトンの死から5日後。
妻・ケイティも夫・ダルトンの後を追うように息を引き取った…


ケイティはダルトンの死の翌日、ほかの取材に応じた時は…

彼は私のすべてだった。
すぐダルトンに会えるわ。


2016年9月。20代の若さで相次いでこの世を去ったケイティとダルトン。

夫妻の選んだ道は、短かくも美しく病気と闘い懸命に生き、に溢れた人生だった違いない。


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