概要
無名戦士の墓(むめいせんしのはか)は、歴史を通して発生した戦争で死亡し、身元が不明な兵士の遺骨を埋葬または納めた墓。遺骨が無いままで遺品を納めたり、それが無く英霊として葬って祀る墓が存在し、欧米諸国では外交儀礼上の敬意が払われる存在と見做されている。
諸外国の例
ここでは一部を紹介する。
アメリカ合衆国
1864年5月に設立されたアーリントン国立墓地が存在し、南軍のロバート・エドワード・リー将軍の住居周辺の土地に築かれた。戦場で遺体が発見されたが氏名を特定できなかった兵士たちが眠っており、正式名称は無いが一般的にはこう呼ばれている。一応一般人も見学できるが、あくまで墓場なので沈黙と敬意を持って見学するべきである。ちなみに大統領は軍の最高司令官である事からこの墓に埋葬される権利があり、ウィリアム・タフトとジョン・F・ケネディが埋葬されている。
フィンランド
1829年10月に設立されたヒエタニエミ墓地が存在し、牧師のエリック・アンダース・クローンスが落成式で講演した。共和国の死没している大統領のほとんどを含む、フィンランドの歴史上かなりの数の著名人がこの墓に埋葬されているので人気の観光地となっている。
ロシア連邦
1967年5月に設立された無名戦士の墓が存在し、アレクサンダー庭園(クレムリンの壁側)に位置する。2014年12月からその記念日が祝われており、1945年9月に第2次世界大戦が終結した後、数百万人のソビエト連邦軍兵士が失踪または死亡が確認されていると報じられた。1997年12月にロシアのボリス・エリツィン大統領の法令によって、それまでレーニン廟を警備していた大統領連隊の儀仗隊が、大祖国戦争に於けるソビエト連邦の人民の勝利を不滅にする為にこの墓に移動した。
日本
1869年6月に設立された靖国神社が戦没者を祀る墓としては最たる例で、こちらは戦死者が眠る場所である為、敬意と礼儀を持って振る舞う事が重要である。
イギリス
1920年11月に設立された無名戦士の墓が存在し、1914年7月に開戦した第1次世界大戦の時にヨーロッパの戦場で死没した身元が不明なイギリス軍兵士が安置されている。同時にフランスのエトワール凱旋門にフランスの無名戦士が埋葬された為、両方の墓は第1次世界大戦の身元が不明な兵士を顕彰する最初の墓となり、これは無名戦士の墓として初の事例である。
フランス
1920年11月に設立された無名戦士の墓が存在し、歴史を通じてフランスの為に死没した全ての兵士を象徴的に追悼する為、1914年7月に開戦した第1次世界大戦の時に死没した身元が不明なフランス軍兵士が安置されている。軍人のマキシム・ウェイガン将軍によって広められたダル・サクレ(神聖な板)という表現は、退役軍人団体によって墓とその炎を指す為に使用されている。
中華人民共和国
1958年5月に設立された人民英雄紀念碑が存在し、毛主席紀念堂(天安門広場の南側)の北側に位置する。1840年8月(第1次アヘン戦争)から1949年10月(中華人民共和国の建国)の間に死没した中国の英雄を讃えて建設され、彼らは国内・国外の敵に抵抗するべく、国家の独立と国民の自由の為に多くの闘争で命を捧げて努力を続けてきた。