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概要

禪院家の男子の中でも生得術式を持たないメンバーで構成される「躯倶留隊」の隊長。

禪院扇を殺害した禪院真希に対処する為に部下と共に真希の元に向かうが、覚醒した真希に部下は壊滅状態に追いやられる。その後は「」と共に真希と戦っていたが、禪院長寿郎と共に真希に喉を抉られて死亡した。

真希に関してもたまたま扇に勝てたのだろうとタカを括っていたものの、討伐に向かわせた躯倶留隊の隊員全員が真希に全滅させられたのを目撃した際にはびっくらポンだぜ」と驚いていた事から、ファンからは「びっくらポン」「びっくらポンの人」などと呼ばれている。また、トドメは自分に残しておけと部下に命ずるなど、強制的に所属させられる下部組織らしい鬱屈した面も見られた。

炳に対しては、彼等が登場した時に「炳のお出ましか」と喜ぶなど、彼等の実力を高く評価して信頼していたらしく、その中でも禪院長寿郎に対してはさん付けをして敬意を払っている。一方で躯倶留隊を統括する立場の禪院甚壱の事は、気安く呼び捨てで呼びながらも「甚壱にどやされるのは俺なんだからな」と部下に溢すなど、上からの圧力を直接かけられるという面では辟易していた模様。

甚壱については、躯倶留隊の部下達からはその人柄も含めて非常に慕われており、ここにはやはり他の部下達と隊長の彼では、立場の違いやそれによる対人評価の差異があるのだろう。

加えて、扇の事は一応さん付けで呼んではいたものの軽く見ていたようで、扇が真希に殺されたと聞いた際にも「寝込みやトイレを狙えば真希でも勝てるだろ」と一蹴しており、殆ど反応はしていなかった。

扇は躯倶留隊の他の部下達からも嫌われていたor苦手意識を持たれていたので、ここについては彼も同様だったと思われる。またそれ以前にそもそも彼の方が扇より実力は上だったのではと考察する声もある(実際に、扇が覚醒した真希の攻撃に反応すらできずに瞬殺されたのに対して、彼は真希の攻撃に反応して数太刀だけとはいえ真正面から捌いて張り合っていた)。

尤も、この時点で真希は躯倶留隊数十人との戦闘及び長寿郎の術式を浴びた直後に信明、長寿郎と二対一となったという流れなので、状況が違う為に一概に比較はできないが。

いずれにせよ、炳のメンバーである長寿郎と連携して戦えるレベルの実力を持っており、生まれた環境が違えば日下部篤也のような人材になっていた可能性も充分にあった人物だったと言える。

それが禪院家に生まれたばかりに、術式を持たないと言う理由だけで下部組織のリーダーという立場に押し込められたまま、上の遺産を巡った謀略に何も知らされずに巻き込まれて死んだ事を考えると、彼もまた術式史上主義と保守的な考えで腐敗した禪院家という家とその上層部の被害者だと言えるかもしれない。

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