メンバー
蛍丸
肥後国一の宮・阿蘇神社に伝わった宝刀。刃こぼれを一晩で蛍が修復した伝説に由来する。
山城伝、来派の来国俊作。戦前は国宝に指定されていたが、太平洋戦争の混乱の中で所在不明となった。2017年6月に写しが阿蘇神社に奉納予定。
同田貫正国
来派より分かれ肥後国菊池に拠点を構えた延寿派の末流・同田貫派の藤原正国が打った刀。
清国・正国兄弟の名は肥後熊本藩主・加藤清正の名に由来する。同田貫派の中で最も山城伝に近い優美さを持つと言われる剛刀。
歌仙兼定
肥後細川家二代当主・細川忠興の愛刀。二代関兼定こと「之定(のさだ)」の作。
清正亡き後加藤家が改易となり、嫡子・細川忠利がその後を継いで肥後に転封。その後、八代城に隠居した忠興が忠利におもねる悪臣三十六人(または六人)を呼び寄せ、次々に手討ちにしたという伝承に由来する。
肥後拵の代表的な本歌の一つである「歌仙拵」が附属する。現在は細川家伝来の品を管理する永青文庫(東京都目白区)所蔵。
肥後組の関連
2016年10月現在、ゲーム内で彼らの間に特殊会話や回想などは存在しない。しかしながら、三振が熊本城に共に揃っていた可能性は存在する。
第3代肥後熊本藩主・細川綱利は、当時阿蘇大宮司家に伝わっていた蛍丸を召し上げようとしたが、阿蘇大宮司家はこれを拒否。やむを得ず一時的に「借り上げる」形で佩刀していたという。
また、歌仙兼定は詳細な時期こそ不明であるが、細川綱利の代で家老・柏原家に下賜されたとされる。また戦装束の草摺に施された銀杏の意匠は、熊本城の別名「銀杏城」に由来するものと思われる。
同田貫正国については、加藤氏の代から熊本城の常備刀として相当数が収められていた。併せて、同田貫については「数多ある同銘の刀の集合体」という設定が語られている。
関連イラスト