概要
『刀剣乱舞』の作品内において黒田家の繋がりが明らかになっているキャラクターの「へし切長谷部」「博多藤四郎」「日本号」「日光一文字」「五月雨江」と、極で黒田家に言及した「厚藤四郎」を中心に指して呼ぶ。
「福岡県」に縁深い刀剣であり「組」の呼称だが、そういう意味ではない。
言動がやたら物騒だったり、戦闘狂であったり、汚れ仕事を行う設定がある者は居るけど。
ちなみに、へし切長谷部・博多藤四郎・日本号の三振りは、各刀種での機動値がトップである。
装備スロット数も考慮すれば、全刀剣中でもトップクラスとなる機動値を誇る。
反面統率は低く、刀装をふっ飛ばされやすい一面もある。
また、内番(手合わせ)では日光一文字からの特殊ボイスが発生する。
メイン構成
「お任せください。最良の結果を、主に」
勝ち気で皮肉屋な青年。今の主である審神者への忠誠心が厚い。
ある事を渇望しているが口にすることなく徹しており、主の命令なら何でもこなす。
- 日本号との黒田家に関する回想イベントがあり、黒田長政について言及する。そこでは「長政さま」と呼ぶ。
- コラボカフェでは博多藤四郎と福岡名物のメニューを担当したこともある。(回想ではあの様子だったが、主(来場客)には黒田の地の料理を振る舞ってくれた模様)
- 2017年10月31日に「極」が実装。修行で行かされた地は織田信長に縁ある地だったが、手紙では黒田官兵衛(黒田如水)にも言及。「如水様」と呼ぶ。
織田信長が命名。黒田孝高(黒田官兵衛)が小寺政職の使者として信長に面会した折、中国攻めの策を提言した褒美として与えられたとされる。また、信長から羽柴秀吉の所有を経て黒田長政に下賜された説もあるが、現在では誤伝とされている。
製作当初は大太刀であったのが後の時代に磨り上げられたために作者の銘はなく、長政が刀研師の本阿弥光徳に鑑定依頼したことで長谷部国重の作と判明した。それまでは「圧切御刀」と呼ばれていた。
長政の死後は遺言書により、素行が問題視されていた嫡男・忠之ではなく四男・高政が相続した。
高政は東連寺初代藩主であるが、三代福岡藩主・光之の遺品目録にはへし切長谷部が登場するため、18世紀初めには福岡藩に戻ってきていたと見られている。
その後は歴代藩主の所用品として受け継がれていく。昭和中期まで黒田家に伝来したが、1978年に他の黒田家伝来の文化財と共に『黒田資料』としてまとめられて福岡市へ寄贈。現在は福岡市の所有となっている。
「戦も商売もそげん変わらん!」
博多弁で喋る、朗らかなちゃっかり者。博多の豪商から受け継いだ商売人魂を持つ。
審神者の年代が分かれるネタをちらほら用いていたり、ユニークな台詞が多い。
- 筑前福岡城主・黒田忠之から小笠原忠真に贈られ、以降小笠原家に伝来した。(公式Twitterの紹介文より引用)
- 日本号との博多を語る回想イベントがある。
- コラボカフェではへし切長谷部と福岡名物のメニューを担当したこともある。
- 2017年2月21日のアップデートで「極」が実装され、修行では黒田忠之の元へ行く。忠之を「黒田忠之様」「黒田様」と呼ぶ。
忠之が領内の博多で商人から買い上げたとされる。
その後、忠之が隣国の藩主である小笠原忠真に贈った。
「天下三名槍が一本にして、日の本一の呼び声も高い、日本号だ」
天下三名槍と正三位の自負がとても強い、日の本一の槍。
来歴ゆえ飲み過ぎへの忠告も向けてくるが、自身も大の酒好きでよく飲んでいる。
- 黒田藩の重臣 母里太兵衛が、福島正則との呑み賭で勝ち取った。(公式Twitterの紹介文より引用)
- へし切長谷部との黒田家に関する回想イベントがあり、黒田家には義理があると語る。
- 博多藤四郎との博多を語る回想イベントがある。
母里友信が福島正則より貰い受けた後、代々母里家に伝わるが、明治30年代に持ちだされる。
その後様々な人の手を経ながら、大正期に黒田家に贈与される。昭和になり『黒田資料』の一つとして黒田家から福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されている。
「右手に歴史書、左手に法螺貝。日光一文字、只今見参である」
誇り高き福岡一文字派の左腕。
- 元は日光権現(日光二荒山神社)に奉納されていた所を北条早雲が申し受けて後北条氏の宝刀となるも、北条氏直の時に小田原攻めにて和睦交渉のための仲介役を担った黒田官兵衛に、同じく家宝の「吾妻鏡」と「北条白貝」と共に謝礼として贈られた。(公式Twitterの紹介文)
- 日本号とは黒田家に関わる回想イベントがあり、黒田家由来の刀剣男士達を (ほぼ勝手に) 弟分認定している。
- 日光一文字は黒田忠之時代にへし切長谷部と同じ拵を誂えており、刀佩きやインナーシャツなどの服装の細部にその名残が見られる。(この拵は現存していない。)
- 内番では手合わせにおいて、日光一文字から日本号・へし切長谷部・博多藤四郎・厚藤四郎・小夜左文字・五月雨江へ特殊ボイスが発生する。(日光一文字のみ同一台詞の別ボイス)
黒田官兵衛から嫡孫の黒田忠之へと相続され、以後黒田家に伝来。(黒田長政は日光一文字の直接の所有者にはなっていない。)黒田家伝来後は明治時代に他の品々と共に『黒田資料』の一つとして福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館所有。謝礼で贈られた際刀身が収められていた黒漆塗りに葡萄文蒔絵の刀箱も一緒に展示されている。
「極」で黒田家に言及する刀剣男士
ゲーム内では来歴について「自慢じゃないけど、歴代の主は名将が多くて、なかなかの有名人ばかりだぜ」と語る。
2016年5月17日アップデートにて「極(きわめ)」が実装され、修行先は元主の一人である黒田如水(黒田官兵衛)のところが選ばれた。ちなみに、修行先の地は「筑前」と明言されているため、この時点では既に厚藤四郎は別の主の元にあったと考えられている。黒田如水のことは「黒田様」と呼ぶ。
【刀剣としての来歴】
はじめ足利将軍家に伝来。足利義尚が江州出陣の際の差料と伝わる。
→堺の商人を介して本阿弥光徳が購入、一柳直末に譲渡。
→秀次死後は豊臣秀吉の手に渡るが、程なくして毛利秀元に下賜される。
(※毛利への下賜、秀次の入手が逆の異説あり)
→江戸時代に入り、毛利家から四代将軍・徳川家綱へ献上。
→近代以降は一橋家所有となり、昭和初期に帝室博物館が購入。
史実で黒田家との関わりがあった刀剣
『刀剣乱舞』のキャラクターとしての設定に於いて描写はないが、刀剣としての史実では黒田家との関わりもあったことからファンアートでは含まれている場合もある刀剣男士。
ゲーム内では名の由来や逸話について語っている。
【刀剣としての来歴】
仇討ちを果たした刀工が、自身を召し抱えた山内一豊に献上。
→山内一豊に頼み込み、細川幽斎が譲り受ける。西行法師の和歌になぞらえ、小夜と命名。
→幽斎の存命中に嫡男・細川忠興が受け継ぎ、豊前小倉藩に伝わる。
→忠興の嫡男・細川忠利の代に飢饉が発生。領民の飢餓を救う資金を得るために売却。
→黒田家、浅野家などの武家に伝来。寛文ごろには土井家所蔵。
→享保名物帳編纂の際には京都の商人が所持していたという。
→昭和には、神戸の田村氏を経て刀工が所持。→現在は法人蔵。
【刀剣としての来歴】
黒田長政の所持だったが、長政の死後、遺品として徳川二代将軍の徳川秀忠に献上される。
タグ付けに際した注意
BL作品である場合は当タグの使用を避けること。
関連イラスト
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へし切長谷部(刀剣乱舞) 博多藤四郎(刀剣乱舞) 日本号(刀剣乱舞) 厚藤四郎(刀剣乱舞)