JR北海道が保有する鉄道車輌の検修・修理・改造・製造工場。その歴史は古く、1909年にに当時の鉄道院札幌管理局札幌工場として開設されたのが始まり。
同様の整備工場は五稜郭と釧路にもあるが、機関車及び電車の検修・修理が出来るのはこの苗穂工場のみ。
また、ブレーキの部品のひとつであるブレーキシューなどの鋳物を作る工場があるが、JRの工場で鋳物の工場があるのは、ここと、JR東日本の長野総合車両センターのみ。さらにそれゆえに、第二次世界大戦末期に四式戦闘機疾風の主脚を担当した。さらにその関係上、戦後GHQに鋳物技術を軍事利用していないか監視された工場でもあったりする。
鉄道省時代には蒸気機関車の製造・木造客車の鋼製化などの車輌製造や改造も行っていたことがある。日本国有鉄道への改組、そして民営化後もその魂は脈々と受け継がれ、ジェットエンジン搭載除雪車という超ド級の迷列車を製作したりしながらも、全国に先駆けての急行形気動車のジョイフルトレインへの改造や静態保存されていた蒸気機関車の復元工事、長年放置されていたボンネットバスの修理・復元までやってのけた。その技術力はJRグループ内でも非常に高い。
交流回生ブレーキは苗穂工場を中心として開発され、世界で最初に実用化にめどをつけた。