西村治郎兵衛
0
にしむらじろうべえ
加治田衆の古参。家老長沼三徳の盟友。絹丸村の名主・荘官の氏族であり軍事貴族。武将(地侍)・忍者。官位は喪儀司・諸陵司であり、葬式・墓地管理・維持。氏族は西村氏と天池氏の分家・一派である。又、毛利山城城代・加治田城西櫓(砦)城代。
加治田衆の古参であり、軍事貴族である武将・忍者。朝廷との関わりは、荘官・名主。
最初は、盟友長沼三徳と共に佐藤忠能と佐藤忠康へ仕え、加治田城築城にも関わる。その後は、加治田・堂洞合戦において、八重緑姫が岸信周・岸信房により堂洞城長尾丸にて磔になるが、微服潜航にて忍び、遺骸を闇討ちにより奪い取り、龍福寺にて孝養する。
加治田・堂洞合戦においても進撃軍の一部将として攻め、直の関・加治田合戦にも参加する。
佐藤忠能が隠居後、斎藤利治へ仕え、天下布武の合戦へ参加。月岡野の戦いでは事前の情報収集にて上杉家を誘い込み大逆襲にて大勝利に貢献する。
本能寺の変後、斎藤利堯へ仕え、加治田・兼山合戦では、毛利山城(牛ヶ鼻砦)城代にて二度も森軍を撃退し、加治田城本城攻城戦においても盟友長沼三徳の三徳櫓を死守し、森軍を撃退する。
斎藤利堯が病死し、加治田城がも森氏統治となると、長沼三徳と共に誰にも仕えず、加治田城衣丸(絹丸村)にて斎藤利治の遺児である斎藤義興と斎藤市郎左衛門(斎藤徳元)を養育し、正室院を保護した。
最後は、長沼三徳に跡を託し、天命を全うする。
各郷土の歴史書・軍記物にて治郎や次郎・二郎の名が加治田衆として郷土資料に載っている。
堂上蜂屋柿・官位である墓地関係や宗教関係。
信長の野望や歴史ゲームでは郷土武将・軍事貴族・忍者であるがまだ登場はしていない。各それぞれの書籍には人物として載せてきている。
関連記事
コメント
コメントが未記入です