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概要編集

1971年7月30日生まれ、北海道札幌市白石区出身。錦鯉のボケ担当。血液型はO型。

現在の芸名は本名と同じ。かつては(自身のネタの一つと同じ)「のりのりまさのり」の名前でも活動していた。相方の渡辺隆からは「まさのりさん」と呼ばれている。「突き抜けた馬鹿」とも。


吉本興業札幌支社(札幌吉本)一期生。


芸能人としては大変な遅咲きであり、23歳でデビューし、全国的なブレイクを果たしたのは49歳〜50歳のころである。

もっとも、ブレイクには至らなかったが「ブレイク前夜」ともいうべきタイミングは何度かあり、札幌でのピン時代や前のコンビの解散寸前などはテレビ出演の機会も多く少しずつ注目されている状態であった。このため、一切鳴かず飛ばずのまま惰性で続けていた、というわけではない。

2024年時点で、M-1グランプリの最年長決勝進出記録及び最年長優勝記録の持ち主。


白スーツスキンヘッド、大きな声の明るいキャラクターで知られる。

このスキンヘッドは錦鯉結成のあたりから、自分でバリカン(のちにT字カミソリ)を使って剃っているとのこと。頻度は三日に一回。一度壊れたバリカンで剃って皮膚を傷つけてしまい、ネタ中にツッコミで頭を叩かれた際血が噴き出したことがある。

若手時代は彫りの深いキリッとした顔立ちが特徴的で、ふさふさの髪も相まった男前キャラだったが、事務所の先輩のハリウッドザコシショウから「バカなんだからバカを前面に押し出せ」とのアドバイスを受けたことが転機となった。


私生活は大変なものぐさ、面倒くさがりかつかなりの天然ボケのため、錦鯉結成までは生活が色々とままならない状態であり、相方の渡辺からは親のように面倒を見られている。

自身が学がない事は理解しており、世間を知るために読売KODOMO新聞を読んでいる(本人曰く大人の新聞だと難しくて読めないから子供用の新聞で段階を踏んでいるとの事)。

本人曰く「(内輪ノリや小さな箱でネタを見せることで満足し、『必ず売れて有名になるぞ』という向上心を持たないまま)ダラダラやっていたせいで」20年以上のキャリアを持ちながら芸人として大成することはなく、怠惰な生活ぶりやギャンブルにハマったことも相まって長年かなりの貧乏生活を送っていた。料金未払いで電気を止められたため夜に月明かりや信号の点灯を頼りに髭を剃ったり、交通費が確保できず貧乏芸人の番組に行けなかったりと、様々な貧乏エピソードを持つ。

また、金銭的な事情から歯の治療ができなかったため、2019年時点で歯を上下合わせて8本無くしている(いずれも奥歯。さらにその後2本抜けてしまった。2022年ごろから仕事の合間を縫って歯の治療をしており、2023年に奥歯9本の治療が完了した)。このため、食べ物はほとんど噛まずに飲み込んでいるとのこと。好きな食べ物はあんこの入った和菓子など甘いものやコロッケ、納豆。

渡辺からは「組んでみて、本当にこの人バカなことが分かった」といったことを言われている。渡辺からは、ずっと鼻をすすってることや爪を切らないこと、Tシャツなど服を替えないことなど、怠惰だという長谷川自身の生活面まで毎日のように注意されて気にかけられており、こういうことから長谷川は渡辺のことを「東京のお母さん」と表現している。お笑い芸人になる前はホストをやっていたり、劇団に入っていた。


幼少期に9年ほどバレエを習っていたため、ダンスが得意であり「のりのりまさのり」などのネタにも生かされている。


タカアンドトシとは、共に札幌吉本1期出身で親交があり、長谷川が東京進出してからも何かと面倒を見ているとのこと。


憧れの芸能人として武田久美子斉藤由貴の名前を挙げており、特に斉藤については若い頃親衛隊に所属して「ザ・ベストテン」が札幌に来た際に生中継で声援を送ったことがあり、一生の思い出だという(因みに斉藤由貴とは後に2022年の『ラフ&ミュージック』で共演した)。


長谷川の芸風は爆笑問題太田光も認めている程の底知れぬポテンシャルを秘めている。


経歴編集

生家は札幌市中央区の二条市場にあった鮮魚類の珍味店で、父はその二代目であった。

本人曰く「父が事業に手を出したが騙されてしまい、店を取られた」とのことで、小学二年生の時に同市の白石区に転居。その後一度同市豊平区に転居したが、再び白石区に戻っている。


北海道北広島西高等学校卒業後、北海道造形デザイン専門学校に入学するも半年ほどで中退。その後はすすきのホストとして働くなどフリーター生活をしていたが、アルバイト先のカプセルホテルの同僚が劇団員だった縁で、「劇団しゃどうず」に入団する。

芝居をやっていくうちに笑わせるシーンが面白いと思うようになったことや、当時テレビで見た海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)などのコントに衝撃を受け、1994年に札幌吉本ができたのを機に23歳で芸人に転身した。


芸人としては、高校時代からの友人だった久保田昌樹とコンビ『まさまさきのり』として札幌を拠点に活動し、2000年に一度解散。本人はピンで2001年10月から2002年12月まで『夕方Don!Don!』金曜特大号(北海道テレビ)のレギュラーリポーターとして、生中継やロケをする「週末はいただき! ハセガワフライデー」→「長谷川雅紀のフライデー珍道中」のコーナーを1年ほど担当していた。

2003年に久保田からの誘いでコンビを再結成し、東京に進出して「マッサジル」のコンビ名で活動を再開。当初は事務所と相談の上東京吉本や他事務所への紹介をしてくれるという話になっていたが、久保田の希望でフリーで活動することになる。2005年からSMA所属。2011年に相方の久保田が体調不良で帰郷したためマッサジルを解散。

ピン芸人「のりのりまさのり」を経て、2012年に同じ事務所の後輩で仲の良かった渡辺隆に誘われて現在のコンビを結成する。錦鯉結成後の活躍については当該記事を参照のこと。

なお、久保田はマッサジル解散を以て芸能界を引退し、2018年に病気で亡くなっている。長谷川曰く病気で入院しており、長期間に渡って闘病生活をしていたとのこと。


映画『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』に赤ちゃん悪魔のCVを担当することとなった。長谷川にとってはこれが初の声優業となる。


関連タグ編集

錦鯉

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