概要
『的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある。射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る』
1880年〜1939年。弓と禅を初めて融和させた、20世紀最大の弓の達人(今までは神道や儒教,真言仏教の教えが強かった)。ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルに指導した。無影心月流の梅路見鸞と親交があった。
教え
モットーは「一射絶命」。
術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった。
目を殆ど閉じた状態で弓を絞ると、的が自分に近づいてきて、やがて一体化する。そこで矢を放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるという教えだ。
『弓と禅』では、オイゲン・ヘリゲルを始めとする弟子達の前で、殆ど目を閉じた状態で放射している(オイゲンが筋肉を触ったところ、筋肉にも力が入らず、ダランとしていたと証言を記している)。
弟子たちにはまず、呼吸のみを重視させた。「狙わずに的を中てろ」など、難題を要求した。
弓と禅
東北大学の教授として招かれたヘリゲルは、禅の心を探ろうと、友人の伝手で阿波に弟子入りする。
阿波の教えは難解であり、ヨーロッパの明瞭な教えとは全く異なる。ヘリゲルは全く飲み込めず、弓道の技術精錬に執着する。
それが阿波の怒りに触れ、一時は破門されかけるヘリゲル。友人の計らいでなんとか破門は回避できたが、弓の腕はなかなか上達しなかった。
ある日ヘリゲルは弓が上達しないことに我慢できず、「師匠は目をつぶっていても的に中てられるのでしょうね!」と言ってしまった。阿波はしばらく黙ったのち「夜の9時に道場へ来なさい」と告げる。
夜中に阿波から呼び出されたヘリゲル。真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し、三寸的の前に立てる。線香の灯が暗闇の中にゆらめくのみで、的は当然見えない。
そのような状態で、阿波は矢を二本放つ。一本目は、的の真ん中に命中した。二本目は、一本目の矢の筈に中たり、その矢を引き裂いていた。暗闇でも炸裂音で的に当たったことがわかったと、ヘリゲルは『弓と禅』において語っている。二本目の状態は、垜(あづち)側の明かりをつけて判明した。
この時、阿波は、「先に当たった甲矢は大した事がない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから的がどこにあるか知っていたと思うでしょう、しかし、甲矢(一番目の矢)に当たった乙矢(2番目の矢)・・・これをどう考えられますか?」とヘリゲルに語った(オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』より引用)。
ヘリゲルはこの出来事に感銘を受け(矢を別々に抜くに忍びず的と一緒に持ち帰り)、弓の修行に邁進し、後に五段を習得している。阿波はヘリゲルを認め、自身の持つ最高の弓をヘリゲルに渡し、免状も渡して免許皆伝とした。
守破離を無事に達成したヘンリルは帰国後、『弓と禅』を著する。
弓と禅は、スティーブ・ジョブズにも大きな影響を与えた。
[youtu.be/U_H6rnJG1h0?si=lHLQ2Fbyx-zLOswo]