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日本において救急消防呼ぶために通報する際の電話番号


変遷編集

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により、東京と横浜の電話局舎および電話網が壊滅した。逓信省はこれを機に日本で初めての自動式電話交換機を導入した。

1926年(大正15年)1月20日午前0時に京橋局(局番56)がステップ・バイ・ステップ交換機により自動化され、加入者の電話機はダイヤルパルスを発生させる回転ダイヤル式に切り替わった。

ダイヤル式電話機は、ダイヤルを回すことで数字に対応した回数分ダイヤルパルスを発生させる(1は1回、2は2回、0は10回で、0はダイヤルに一番時間がかかる)。ところがダイヤルを回さなくとも、フック操作を行うことでダイヤルパルスが発生してしまう。現在でもダイヤル回線の場合は、素早くフックスイッチを連打することでダイヤルしたのと同じ状況になる。


1926年(大正15年)1月20日の京橋局の自動化と同時に、火災報知用の112番の運用が開始された。加入者サービス用の番号を10X,11Xとし、フック操作3回で誤って接続される111番を欠番としたため、一刻を争う火災報知の番号に2番目に短い112番が選ばれた。

ところが、初期のステップ・バイ・ステップ交換機はパルスの速度が10パルス毎秒と遅く、電話交換が自動化される前の習慣によりダイヤルする前に、2度フック操作をしてから、局番が20番台の地域(丸の内・日本橋・神田大手)にダイヤルすると、112番にダイヤルしたこととなり消防署に誤って接続されてしまう、想定外の事態が発生した。この誤接続問題がきっかけとなり、1927年(昭和2年)10月1日に早くも現在の119番への変更が実施される。119が選ばれたのは、当時東京・横浜の自動交換網では90番台の局番が未使用であったこと、フック操作による「11」誤ダイヤル後にも9を回す人はいないとされたためである。東京中央電話局は、変更理由を「設備の関係から」であることを加入者に知らせ、電話局の自動交換システムに課題があると認めた。

よくある、「ダイヤルの戻り時間で落ち着きを取り戻させる」というのはただの都市伝説(デマ)である。


1928年(昭和3年)春、大阪、神戸、京都、名古屋でも自動交換が始まり、10X,11Xを加入者サービス用の番号とし、火災報知用に119番が指定された。

1938年(昭和13年)4月1日に東京南部で00番台の局番が登場し、東京中央電話局区域内の加入者サービス用の番号を11Xに統一した。これに合わせて119番は火災報知および救急の番号として据え置かれ、日本の緊急ダイヤルとされた。警察については、緊急ダイヤルは長年存在せず、救難要請のひとつとして、119番で受けて警察へ伝達していた。

1948年(昭和23年)10月1日、GHQからの申し出により警察通報ダイヤルは110番として正式に独立する。


戦前から戦後にかけて、自動交換網導入と同時に立ち上げられてきた119番だが、例外があった。沖縄県である。沖縄は米軍統治時代に一足飛びに自動交換化されてしまったため、返還時には119番の体勢が整っていなかった。この為沖縄、特に離島部では長年、特発番号ではない普通の電話番号を使った「ワンクッションコール」が運用されていた。2015年(平成27年)12月、沖縄県全域の119番導入に伴い廃止された。

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