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ABC殺人事件

えーびーしーさつじんじけん

『ABC殺人事件』(エービーシーさつじんじけん、原題:The ABC Murders)は、1936年に発表されたアガサ・クリスティの長編推理小説である。クリスティ18作目の長編で、エルキュール・ポワロシリーズの長編第11作にあたる。ミッシング・リンクをテーマとしたミステリ作品の中で最高峰と評される作品で、知名度・評価ともに高い著者の代表作の一つである。
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概要編集

アガサ・クリスティが生み出した名探偵「エルキュール・ポワロ」シリーズの長編作品で、「アクロイド殺し」「オリエント急行の殺人」と並ぶ同シリーズ代表作の一つ。アルファベット順に殺人事件が起こることが特徴である。

なお冒頭から、本作は1935年6月の出来事と判明している。


登場人物編集

エルキュール・ポワロ

私立探偵。

時系列的には『アクロイド殺し』の後で、農村でのカボチャ作りを辞めロンドンの幾何学的なアパートに住んでいる。

第1作『スタイルズ荘の怪事件』から20年近い時が過ぎた事もありこっそり白髪染めをしているが、まだまだ付け髭はいらないそうな。

犯人からの匿名の挑戦状を受け取ったことで、否応なく事件に巻き込まれる。


アーサー・ヘイスティングズ

ポワロの協力者。

いわゆるワトソン役で、元陸軍大尉の牧場主。

『ゴルフ場殺人事件』エンディングで結婚し、現在はアルゼンチンで牧場を営んでいるが、今回は30年代に世界を覆っていた不況の影響から仕事処理のため英国に一時帰国していた。


アリス・アッシャー(Alice Ascher)

1人目の犠牲者。

アンドーヴァーで小さな商店を切盛りしていた老女。

自身の経営していた店内で背後から撲殺される。

金や商品には一切手は付けられていなかった。


フランツ・アッシャー(Franz Ascher)

アリスの夫。

大酒飲みで、たびたび妻のアリスに金をせびっていた。ドイツ系で、第一次大戦中は差別と偏見に苦しんでいたらしい。


メアリ・ドローワー(Mary Drower)

アリスの姪。

アンドーヴァー近郊のある屋敷でメイドとして働いている。


エリザベス(ベティ)・バーナード(Elizabeth (Betty) Barnard

2人目の犠牲者。

ベクスヒルのとあるカフェでウェイトレスとして働いていた。異性関係が少々だらしなく、彼女の父親に言わせると「いまどきの娘」らしい。

事件当日も何者かに深夜の海岸まで誘い出され、そこで絞殺されてしまったらしいことが分かっている。


ドナルド・フレーザー(Donald Fraser)

ベティの婚約者。

不動産関係の仕事をしている。激しやすく、ベティの異性関係でたびたび彼女と言い争いをしていた。


ミーガン・バーナード(Megan Barnard)

ベティの姉。

ロンドンでタイピストとして働いている。ドナルドとの喧嘩についてベティから相談を受けていた。


カーマイケル・クラーク卿(Sir Carmichael Clarke)

3人目の犠牲者。

かつて医師として成功した富豪。

引退後は保養地の近くのチャーストンにある屋敷に住み、趣味の骨董品収拾に熱中していた。

3件目とあってポアロも警察もABCからの予告に即応できる準備をしていたが、宛先の誤記によって挑戦状の到着が遅れるという痛恨の事態が起きる。


フランクリン・クラーク(Franklin Clarke)

カーマイケル卿の弟。

兄の右腕として世界中を飛び回って骨董品を買い集めている。


シャーロット・クラーク(Charlotte Clarke)

カーマイケル卿の妻。

末期を患っており、先が長くない。夫のカーマイケルと秘書のグレイの関係を疑っている。


ソーラ・グレイ(Thora Grey)

カーマイケル卿の秘書。

彼女は事件当日に怪しい人物を見かけていないと証言しているが、当日玄関先の階段で見知らぬ男と話している姿をシャーロットに目撃されている。


ジョージ・アールスフィールド(George Earlsfield)

4人目の犠牲者なのだが、姓名ともにイニシャル「D」ではない理髪師の男性。


ロジャー・ダウンズ(Roger Downes)

ドンカスターでの殺人の第一発見者であり、被害者の近くに座っていた教師。

姓のイニシャルが「D」なので、警察は背格好の似ていた彼とアールスフィールドが間違えられたのだと考える。


アレグザンダー・ボナパート・カスト(Alexander Bonaparte Cust)

ストッキングのセールスマン。

自身の名前が2人の偉大な英雄(アレクサンダー大王とナポレオン・ボナパルト)に由来することに対してコンプレックスを感じている。

原作での途中の数章はヘイスティングズ大尉ではなく彼の視点から描かれている。第一次大戦に従軍したことがあり、復員後はその後遺症に悩まされている。


ジェームス・ジャップ

お馴染みのジャップ警部。

ロンドン警視庁首席警部。


クローム警部

事件の担当刑事。優秀だが、どこか傲慢なところがある。


あらすじ編集

ロンドンに新しくアパートを構えたポアロの元に、「6月21日、アンドーヴァーを警戒せよ」と文末に「ABC」と署名された挑戦状が届いた。そして挑戦状の通り、Aで始まるアンドーヴァー(Andover)の町で、イニシャルがA. A.のタバコ屋の老女アリス・アッシャー(Alice Ascher)の死体が発見され、傍らには『ABC鉄道案内』が添えられていた。


警察は当初、彼女が夫と不仲であったため、夫を疑う。間もなくABC氏からポアロの元に第2・第3の犯行を予告する手紙が届き、Bで始まるベクスヒル(Bexhill)でイニシャルがB. B.の女性、「C」で始まるチャーストン(Churston)でイニシャルがC. C.の富豪が殺害され、やはり死体のそばには『ABC鉄道案内』が置かれていた。犯人は、地名とイニシャルが一致する人物をアルファベット順に選び殺害していると推測されたが、被害者達それぞれに対して動機がある者はいても、被害者達にABC以外の関連性はなく、犯人の正体と動機はわからない。


やがてセントレジャー競馬が行われる日に犯行を予告する手紙が届く。ポアロらは第4の殺人を防止すべく、競馬の開催地ドンカスター(Doncaster)へ向かうが、町の映画館で殺害されたのはイニシャルがD. D.の人物ではなくG. E.の理髪師の男であった。ポアロも警察も首をひねるが、近くにイニシャルがDの男性が座っていたため犯人に間違えられたものと思われた。


アルファベット順に選んだ対象を無作為に殺害していく愉快犯の仕業と警察が捜査方針を固める中、てんかん持ちのアレクサンダー・ボナパート・カスト(Alexander Bonaparte Cust, A. B. Cust)は新聞報道を読んで自分が犯人なのではないかと思い悩み自首してくる。彼の家からは『ABC鉄道案内』と挑戦状を打つときに使ったタイプライターが発見され、事件は解決したかと思われた。だが、ポアロは真犯人が別にいると推理する。彼はいかに理性を失したように見える人間の犯行であっても、そこには犯人なりの論理性や理由があるはずであり、何の理由もないのにアルファベット順に人を殺害していくというのは殺害動機としてあり得ないと考えていた。












以下、事件の核心に迫るネタバレ注意!






























私(ポワロ)は考えました。

もしカストが一連の事件を起こしたのだとしたら、その動機はなんだったのか?

「狂人だから」だけでは、説明として不十分です。

何故なら、狂人の行動であってもそこには必ず筋道立った―それは狂気によって歪んだ認識に基づいた筋道ですが―道理が存在します。

ABCをこのような犯行に駆り立てた狂気の内実、我々は今もってそれを全くうかがい知れていないのです!


それは、殺人への狂暴な衝動でしょうか?

ですが、そのような殺人鬼は自らの衝動を満たし続けるため、出来るだけ多くの人間を殺し続けられるよう腐心するものです。

嗜虐の欲求が先走って身の安全への配慮を欠くなら分かりますが、自らわざわざ捕まりやすいルールを作って遵守するABCの姿勢は、そのような「殺せれば良かろう」な殺人鬼像には当てはまりません。


ならば、特定の条件を満たした人間を特定の順番にどうしても殺さねばならぬという偏執的な妄想がABCを支配しているのでしょうか?

しかし、選ばれた場所も被害者も頭文字がABC順である以外は何ら法則性がなく、同じ条件を満たした無数の場所や人物から特にこれらを選び出す理由が見当たりません。

私の印象の域を出ないことは否定しませんが、ABCの犯行手口は極めて計画的である一方、選別基準には偏執的と呼ぶにはほど遠い大雑把さを感じます。


溢れんばかりの自己顕示欲が、ABCにこのゲームのような連続殺人を思いつかせ、事前に挑戦状を出すという劇場型愉快犯の行動を取らせたのか?

これも理屈に合いません。自らの存在を誇示したいのなら、私ではなく警察やマスコミに挑戦状を送るはずです。

私に対して何らかの個人的な含みがあるとしても、挑戦状を複数出してはいけない理由はありません。



疑問はまだあります。

そつなく犯行をこなすABCの人物像とカストの性格や能力があまりにかけ離れていることです。

果たして、女性と話すのが苦手な冴えない中年のカストにベティ・バーナードを海岸でのデートに誘い出すことなどできるでしょうか?

付け加えると、カストにはその「B」の殺人において万全とは言えないながらアリバイがあるのです。



なぜ、わざわざABC順に殺人を犯したのか?

そしてなぜ、わざわざ私宛てに挑戦状を出し続けたのか?



その事によって得られる効果は明白です。否が応でも一連の事件は世間の注目を集めました。

では、なぜ一連の連続殺人に注目を集めようとしたのでしょうか?

如何なる理屈でも説明のつかない狂気であれば、それは前提が間違っているのではないか?

私は、ABCは支離滅裂な狂人などではなく、頭の良い―自らの目的のために組織立った計画を立てられるという意味で―正気な人間が狂人を装っているのではないかと考えました。


針が一番目立たないのはどんな時でしょう?

それは針山に刺してある時です。

ある一つの殺人の詳細に注意が向かないのはどんな時でしょう?

それは一連の殺人の中の一つだった場合です。


私はこう考えました。

犯人には本命の殺人が一つあり、その殺人を連続殺人に混ぜてしまうことで、目的の殺人から目を逸らそうとしたのではないか、と。



では、この推測を前提にした視点から一連の事件を見直してみましょう。



アンドーヴァーの事件。

一番怪しいのは被害者の夫であるフランツですが、飲んだくれの彼がそんな巧妙で大掛かりな殺人を犯すとは思えません。


ベクスヒルの事件。

ドナルド・フレーザーが考えられる。彼にはそれだけの頭脳もあれば行動力もある。

しかし、既に破たん寸前の関係にある恋人を殺すとなれば動機は嫉妬です。嫉妬が動機でここまでの計画殺人を行うでしょうか?

さらに、ドナルドには「C」の殺人においてアリバイがあります。


チャーストンの事件。

カーマイケル卿は大富豪でした。

その遺産は夫人のシャーロットが相続しましたが、彼女は末期癌に侵されていて余命幾ばくもありません。彼女が亡くなれば、財産は卿の実弟であるフランクリンが相続します。

大胆で冒険好きの性格、ごくわずかではありますが時々見られる外国人への偏見は、ABCの犯人像と一致します。

魅力のある容姿に開放的な性格。彼にとってはカフェで女の子をひっかけるくらい簡単です。


あの手紙を書き、数々の殺人を行った犯人は、フランクリン・クラークだったのです!


フランクリン・クラーク

事件の真犯人。

動機はずばり、金。


彼は自分の兄カーマイケルが事業に成功して大富豪となったことに嫉妬しており、何とかして彼の財産を奪えないかと昔から考え続けていた。

また、カーマイケルには今の所その気はなかったが、夫人が亡くなった後は慰めを求めてソーラ・グレイと再婚するかもわからない。

もしそうなって、兄とグレイとの間に子供ができてしまったら、自分に兄の財産の相続権は回ってこなくなってしまう。

一方で、もし今ここで兄が死ねば、後は夫人の死を待つだけで、夫妻の唯一の血縁者である自分が財産を全て手に入れることができる・・・。

このことに気が付いた瞬間から、フランクリンは自分の兄を殺害する方法を模索し続けていたのである。


当然、ただ兄を殺すだけでは、真っ先に疑いの目が向くのは自分である。

そこで、考えたのが兄への殺人を、明確な動機のない連続殺人事件の中に紛れこませる一連の計画であった。

ABCの犠牲者選びにアルファベット以外のこれといった法則性が見当たらなかった理由は、何のことはない、彼が調べられる範囲で安全かつ容易に殺せる人間を選び出しただけだったからである。

一人で店にいるアッシャー夫人を殺すのも、男の誘いに容易く乗るベティを殺すのも彼にとっては簡単であったのだ。

三番目の事件の時に、挑戦状が遅れて届いたのも、兄を確実に殺すために仕組んだこと。

警察ではなくポアロに挑戦状を送ったのもそのためで、警察署への誤配達はあり得ないが、個人宅宛てならば住所を誤記することで誤配達が起こせるからであった。

これらの正気の人間による合理的な計算こそが彼が演出しようとしていた「狂気に満ち満ちて誕生したイカレ殺人鬼」像に不合理をきたしていた原因であり、言ってしまえば彼の敗因は「こんだけやっとけばビョーキのサイコっぽく見えるだろ」と中途半端で済ませたキャラの作り込みの甘さである。


ただ、連続殺人を演出するだけでなく、ABCの罪を被る具体的なスケープゴートまで用意したのが、彼の狡猾な点だった。

それがアレグザンダー・ボナパート・カスト。

かつて行きずりに出会った際、極めて暗示にかかりやすい彼の資質を見抜いたクラークは、一連の殺人を進める裏でカストに偽の仕事依頼を送り、見事に操ってみせたのである。

真の目的を果たした後に起こした四番目の殺人は、警察にカストに注目させ、更に彼の精神状態を追い込むためのものだった。


全てはポアロの妄想に過ぎないと悪あがきをするフランクリン。

しかし、一度一人に嫌疑を絞り、捜査に乗り出せば、警察は非常に優秀であった。

数々の目撃証言、物証、もはや彼に言い逃れるすべはなかった。


「赤、奇数、負けだ!あなたの勝ちですよ、ポワロさん!しかし、これはやってみる値打ちはありましたよ!」


彼は即座に銃を取り出し、自殺を図ったが、弾は発射されなかった。

ポアロは事前に銃から弾を抜き取っておいたのだ。


「だめですよ、Mr.クラーク。あなたには、そんな楽な死に方はさせられない」


アリス・アッシャー

ベティ・バーナード

ジョージ・アールスフィールド

ただ数合わせのためだけに殺された哀れな犠牲者たち。

もうお分かりだと思うが、彼らは殺されなければならないようなことは一切していない。


カーマイケル・クラーク

この事件の真の狙いだった人物。

しかし、彼も殺されなければならないようなことは一切していない。



ドナルド・フレーザー

ミーガン・バーナード

二人は自分たちもそれと気が付かぬうちに相思相愛の関係となっていた。

死んだベティには申し訳ないが、二人には幸せになってもらいたいものである。


ソーラ・グレイ

打算的な性格で、クラーク夫人の怪しんでいた通り、カーマイケル・クラークの後妻の座を狙っていた。

さらに、カーマイケルの死後は財産を相続する予定であったフランクリンの妻の座を狙い始めていた。

しかし、フランクリンの逮捕によってその目論見もむなしく崩れた。

打算的で狡猾であると同時に強い女性であるのも確かなので、ここは一つ自分の力で成り上がってほしいところである。


アレグザンダー・ボナパート・カスト

今回の事件で危うく殺人犯の濡れ衣を着せられそうになったが、無事無実が証明された。

今回の事件に関して新聞から100ポンドでインタビューをさせてくれというインタビューの依頼も来ているという。

そんな彼にポアロはこうアドバイスする。「500ポンドで受けましょうと言いなさい。それに一社に独占させる必要もない」と。

自分の無実を信じてくれた大家の娘が近く挙げる結婚式に、豪華な祝い品を贈ってやりたいと喜ぶカスト。

ポアロはさらに「ここ最近続いていたという頭痛はメガネの度が合っていないからではないか」というアドバイスも彼に送った。



テレビドラマ版編集

TV作品

名探偵ポワロ「The ABC Murders(邦題 ABC殺人事件)」(イギリス 1992年)

ポワロ - デヴィッド・スーシェ 熊倉一雄

ヘイスティングス - ヒュー・フレイザー 富山敬〈「もの言えぬ証人」まで〉

ジャップ警部 - フィリップ・ジャクソン 坂口芳貞

アレクサンダー・ボナパルト・カスト - ドナルド・サンプター 矢田稔

フランクリン・クラーク - ドナルド・ダグラス  内田稔

ドナルド・フレイザー - ニコラス・ファレル 玄田哲章

ミーガン・バーナード - ピッパ・ガード 榊原良子


デヴィッド・スーシェ氏は本作を「お気に入り」と言っている。

ポワロの吹替を担当した熊倉一雄さんもおもしろかった作品として語っていた。


前半は多少駆け足の感があるものの、劇中の場面や台詞のほとんどに、原作に対応する部分を見つけることができる忠実な映像化で、たとえばバーナード家でポワロが目の前でドアを閉められてしまうようなちょっとした場面まで、ちゃんと原作にその根拠となる記述がある。変更点の中で大きなものは、クローム警部のカットや、原作では2か月半以上にわたっておこなわれた4つの殺人が1か月に満たない期間に集約している点、ドンカスター競馬場でポワロが連続殺人に隠された意図に気づく筋書きになっている点など。また、ベティの勤務先も(おそらく)架空のカフェ〈ジンジャー・キャット〉から、ベクスヒルに実在するデ・ラ・ウォー・パビリオンへ変更され、最後のポワロの説明もここで行われる。


ヘイスティングズの自慢話として語られるクロコダイル……じゃなくてカイマンの〈セドリック〉の存在もドラマオリジナル。


関連タグ編集

エルキュール・ポワロ アガサ・クリスティ オリエント急行の殺人

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