ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

概要

1982年4月19日アメリカ生まれ、父リヴァーマントリリオン。通算41戦14勝。

1984年デビュー、マルセルブサック賞でGI初制覇。

1985年イギリス1000ギニー7着、アイルランド2000ギニーでセレスティアルバウンティーを破りGI2勝、アイルランド1000ギニー5着、イギリスオークスでオーソーシャープの2着、アイルランドダービー5着、この時点で牡馬相手のGIを含む過酷なローテーションで走った。

1986年エクリプスS2着、キングジョージ3着、凱旋門賞3着、イギリスチャンピオンSでセレスティアルストームを破りGI3勝、ブリーダーズカップターフ6着、JC11着。

1987年ガネー賞とコロネーションCを連勝しGI5勝、エクリプスS3着、キングジョージで2年連続3着、イギリスインターナショナルSとフェニックスチャンピオンSを連勝しGI7勝、凱旋門賞で2年連続3着、イギリスチャンピオンSでモーストウェルカムを破りGI8勝を達成。

この後来日しジャパンカップに挑む。そこへ向けて叩きとして出走したのが伝説の「ワープしたようだ」と形容された富士ステークスで、他馬が止まって見える爆発的な末脚を発揮して5馬身差圧勝、当時の日本ではありえないようなレースぶりでレース後アナウンサーが言葉を失った程だった。しかし、ジャパンカップは不利が大きく響いてしまい4着に終わった。

1988年はコロネーションCでムーンマッドネスを破り連覇しGI9勝を達成、最後はブリーダーズカップターフを4着となり引退。

引退後は繁殖牝馬となったが、1989年5月に放牧中に見回りのトラックのライトに驚き正面衝突するという事故にあってしまい、即死。1頭も産駒を残すこと無くこの世を去ってしまった。

過酷なローテーションだったにもかかわらず、ダンシングブレーヴムトトトランポリーノレファランスポイントらの強豪牡馬相手に互角に渡り合った「元祖・本家」鉄の女。

関連タグ

競走馬 85世代

コメント

コメントが未記入です
トリプティク
0
編集履歴
トリプティク
0
編集履歴