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概要編集

1935年、仏ホッチキス社製の25mm対空機関砲をベースに開発され、1936年に「九六式二十五粍機銃」として海軍に制式採用された。なお制式名称は「九六式二十五粍機銃」であり「九六式二十五粍高角機銃」は誤り。

海軍の主力対空兵装として多くの艦艇に搭載され、また陸上基地にも配備された。陸軍にも若干数が提供され「96式双連25粍高射機関砲」あるいは「96式基筒単装25粍高射機関砲」として運用した。

1943年ごろは1挺を製造するのに1666時間かかっていたが、1944年ごろには380時間まで短縮されたという。

1935年から1945年まで生産が行われ、総生産数は約32000挺。

銃架には単装、連装、三連装があった。

性能編集

射程編集

最大射程は8000m、有効射程は4500mとされる。

資料によっては有効射程1500mとされているが、これは「照準した敵機にまともに当てられる距離」であることに注意。固定目標に対する有効射程は上記のとおり4500m前後である。

ちなみに、その1500m付近から命中弾を得るために2500m付近から射撃を開始したという。ああややこしい。

そしてよく米ボフォース40mm機銃と比較され不足だといわれるが、実戦に於いて射撃を行う距離に大差は無かった。人間が照準している以上その辺は大きく変わらないのだ(機械によって多少補うことはできるが)。

威力編集

「25mm機銃は威力不足であった」「25mm機銃よりも40mm機銃を増設すべきだった」など言われることがある。実際手記や戦闘記録には「命中してもなかなか落ちない」「弾数を増やし、あるいはより大口径の機銃にするべき」という記述も見られる。

しかし、統制射撃によって多数の銃弾を命中させた場合は多くの撃墜が記録されている。つまり敵機を確実に撃墜するには多くの弾丸を命中させる必要があり、数発では落ちない場合も多いということである。

それならば口径を大きくして一発あたりの威力を大きくすればとなるが、口径を大きくすれば当然機銃や弾薬の重量がかさみ、搭載できる数は減ってしまう。よって一目標に指向できる機銃の数は減ってしまい、命中数が減る。どんなに威力が大きくても、当たらなければどうということはないのである。ついでに開戦時に一部の艦が搭載していたビッカース40mmは信頼性、弾道特性などあまり良好とは言い難かった。開戦から中盤にかけて、日本軍において40mmはむしろ25mmに置き換えられたのである。

米軍が40mmを有効利用できたのは高度な射撃管制と配備数の多さに支えられているところが大きい。またボフォース40mmはビッカース40mmよりも信頼性や各種性能が高かった。

単純に弾丸あたりの威力が大きければいいということではないのだ。ちなみに九六式の弾丸は、同クラスの機銃弾としては威力の大きいほうである。


陸上に配備されたものには上陸した米軍陸上部隊との戦闘を経験したものもある。徹甲弾を使用した場合、25mmの装甲板を撃ち抜けるとされた。

照準編集

単装機銃は射手が機銃の照準器で狙いをつける「銃側照準」のみだが、連装以上は射撃指揮装置による「従動照準」が可能だった。電気信号で射撃方向を伝達し、効果的な集中射撃が期待された。実際には戦闘中の被弾で船内電路が破壊され、有効活用できたケースは多くなかったが。


照準に関しても、「狙って撃っても当たらない」などといわれるが、これはきちんとした照準をせずに照準環の真ん中で狙って撃っているだけだったり、只でさえ撃ちにくい左右方向に機動中の敵機を射撃していたりしたものである。

弾薬編集

基本的に本機銃の弾丸は炸裂弾を使用した。曳光弾や陸上用の通常弾の中には一定時間飛行後に自爆するようになっているものもあった。


弾倉の装弾数は初期で10発、後に15発に増やされた。後の戦闘で「有効弾が得られる前に弾が切れる」といった指摘もされたが、その多くは焦って射撃したために無駄弾を撃ったものである。

また15発の時点で17kg近い重量があり、これ以上の増量は継続的に戦闘を続けるには無理があった。

信頼性編集

本機銃は故障や破損も少なく、信頼性は高かった。

モノによっては撃針などの部品が破損するケースもあったがこれは日ごろからきちんとメンテナンスしていれば防げたという。


また「戦闘中にすぐ銃身が過熱してしまう」といわれることもあるが、これは断続的な激しい空襲を受けて継続的に射撃を続けた結果であり、本機銃でなくとも空冷式の機銃ではどれも起こりえた。手記などに見られる「銃身が真っ赤に過熱し」といった表現は、本機銃の欠点ではなくその戦闘がいかに激しいものだったかを表している。


銃口にはジョウゴ状の閃光覆が装着されていたが、連続射撃で破損、融解、炎上して失われてしまうケースが度々あった。




本機銃に関しては、まるで駄作とも取れる評価が散見されるが、そのほとんどはネガティブな評価のみを集めて技術的な考証を加えずに吐かれている。

また米軍の結論でも空の防御は戦闘機が一番であり、戦争末期の海軍が対空射撃で艦隊を守りきれなかったのは本機銃が駄作だったからでも、40mmのような大口径機銃を採用しなかったからでもない。原因の一端ではあるかもしれないが、制空権を失った空の下で船を守るのは機銃だけでは力不足なのだ。

せめてここを訪れた諸兄には覚えていてもらいたい。

余談編集

ちなみに陸軍はマレー半島でイギリス軍からボフォース40mmを鹵獲、試験を経てその優秀さを認識し、コピー生産を試みた。海軍も興味を示しそれぞれ量産を開始したが時すでに遅く、50門も製造しないうちに終戦を迎えた。制式名称は「五式四十粍高射機関砲」。

なお鹵獲したボフォース40mmも百数十門あったため、現地に残っていた弾薬と共に部隊配備され一定の活躍を見せた。

関連タグ編集

太平洋戦争 大日本帝国海軍 大日本帝国陸軍

機関銃 対空砲

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